掉挙

掉挙（じょうこ）とは

掉挙は、仏教において教えられる根本的な苦しみの原因である「煩悩（ぼんのう）」の一つです。これは、心が落ち着きなく、浮つき、興奮した状態、あるいは精神的に高揚して安定を欠いた状態を指します。あたかも頭に血が上ったかのような心の騒ぎを表現する言葉とも言えます。これと対をなす概念に「昏沈（こんちん）」があり、こちらは心が深く沈み込み、気力がなく、鈍磨した状態を指します。掉挙と昏沈は、どちらも心が本来あるべき平静さ、集中力、明晰さを失っているため、仏道修行や瞑想における重大な障害と見なされます。

煩悩としての位置づけ

掉挙は、様々な仏教の教えの中で、心の不健全な働きとして体系的に分類されています。

上座部仏教: 意識と共に生起する不善な心の働きである「不善心所（ふぜんしんじょ）」の十四種の一つとされています。これは、心の清らかさを損ない、倫理的に好ましくない行為へと繋がる可能性のある心の状態を示します。
大乗仏教: 根本的な煩悩に付随して生じる「随煩悩心所（ずいぼんのうしんじょ）」の二十種の中に数えられ、特に影響力の大きい「大随煩悩（だいずいぼんのう）」の一つとして重要視されます。これは、掉挙が単独で存在するのではなく、他の根本的な煩悩（例えば貪りや怒り）と結びついて働くことで、その力を増幅させる性質を持つことを示唆しています。

これらの分類は、掉挙が単なる一時的な感情ではなく、私たちの心を汚し、苦しみを生み出す根源的なメカニズムの一部であることを明確に示しています。

修行の障害として

掉挙は、特に精神統一を目指す修行、すなわち「瞑想」において克服すべき深刻な障害となります。

五蓋（ごがい）: 瞑想の妨げとなる五つの主要な心の働きの一つに挙げられます。掉挙がある状態では、心が過去の出来事を後悔したり、未来への期待や不安に駆られたり、あるいは単に心が様々に散乱したりすることで、瞑想の対象に心を一点に留めることが不可能になります。
サマタ瞑想: 心を一点に集中させる止（サマタ）の瞑想においては、集中を妨げる五つの障げの一つとして認識されています。心の散乱は、深い集中状態である禅定への到達を阻みます。
パーリ経典: 輪廻（苦しみの世界をさまよい続けること）からの解脱を妨げる十の束縛である「十結（じっけつ）」の一つにも挙げられています。これは、掉挙が単なる心の状態に留まらず、私たちを迷いの世界に縛り付ける根源的な力を持っていることを示唆しており、悟りへの道を閉ざす要因とされています。

心が昂ぶり、落ち着きを失っている状態では、現在の瞬間に心を留め、現実をありのままに観察することができません。これは、仏教の目標である深い集中や智慧（さとりの知恵）を得る上で致命的な障害となります。

掉挙を鎮める方法

仏教では、掉挙を克服し、心の安定を取り戻すための具体的な実践が説かれています。釈迦（しゃか）は、悟りを開くための七つの重要な要素である「七覚支（しちかくし）」の中の三つを修習することの重要性を強調しました。

軽安（きょうあん）: 心と体が安らかで穏やかな状態。精神的な落ち着きを育むことで、心の昂ぶりを静め、無理なくリラックスした状態を保ちます。
禅定（ぜんじょう）: 心を一点に集中させ、動揺しない状態。瞑想の実践によって深い集中力を養い、心の散乱を防ぎ、掉挙が入り込む隙を与えなくします。
捨（しゃ）: 偏りのない平静な心、対象への執着や嫌悪から離れた状態。心の浮つきや興奮に囚われず、冷静に観察する姿勢を育むことで、掉挙に振り回されることを防ぎます。

これらの七覚支の一部、特に軽安、禅定、捨を積極的に修習することで、心の昂ぶりや動揺が鎮まり、代わりに穏やかで集中力のある、安定した心の状態が育まれます。掉挙を克服することは、煩悩を断ち切り、解脱へと至る修行において不可欠なステップであると考えられており、最終的には「四向四果（しこうしか）」として示される悟りの段階へと繋がっていきます。

このように、掉挙は仏教において、心の平静を乱し、修行を妨げる重要な煩悩として位置づけられています。その性質を理解し、軽安、禅定、捨といった心の状態を積極的に修習することが、掉挙を乗り越え、心の真の安らぎと智慧を得るための道であると教えられています。

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