放浪者 (ボスの絵画)

ヒエロニムス・ボス『放浪者』：人生の岐路に立つ人間の寓意

ヒエロニムス・ボスによる油彩画『放浪者』は、1500年頃に描かれた作品で、初期ネーデルラント絵画の巨匠の作として知られています。この作品は、もともと三連祭壇画の一部であり、現在はロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館に所蔵されています。

祭壇画の一部としての『放浪者』

『放浪者』は、『愚者の船』、『大食と快楽の寓意』、『守銭奴の死』と共に、一つの祭壇画を構成していたと考えられています。これらの作品は、使用された板材や描かれたハッチング線が共通していることから、ボス自身の手によるものとされています。三連祭壇画は、左翼パネルに『愚者の船』、右翼パネルに『守銭奴の死』が配置され、それぞれ放蕩と吝嗇という対照的な概念を表していました。『放浪者』は、これらの翼パネルを閉じた際に外側を飾る役割を担っていたと考えられています。

作品の詳細

作品は、淡い色彩で描かれており、これは外翼パネルであったことによるものです。もともとは矩形内に円形画を配した形式でしたが、後に四隅が切り取られ、八角形の円形画となりました。画面中央には、荷物を背負い、杖を持つ初老の男が、後ろを振り返りながら歩いています。男の背後には、誘惑的な居酒屋が描かれており、窓から顔を出す女が彼を誘っています。しかし、男は居酒屋から出てきたのではなく、その脇を通り過ぎようとしているところです。居酒屋の横で立小便をする男や抱き合うカップルが、この場所が世俗的な快楽と悪魔の象徴であることを示唆しています。男の頭上には枯れ枝にフクロウが止まっており、これもまた邪悪の象徴と解釈されています。

人生の岐路

この放浪者は、居酒屋の誘惑に負けるのか、それともオランダの平原へと続く門に進むのか、人生の岐路に立たされています。門と平原は、イエス・キリストの象徴と見なすことができます。キリストは「ヨハネによる福音書」で、「私は門である。私を通って入るものは救われる」と述べています。放浪者がどちらの道を選ぶかは、『守銭奴の死』における天使と悪魔の戦いのように不確かです。しかし、彼は居酒屋を振り返る姿は、快楽への憧憬を抱いているかのようです。履き慣れない靴を履いた放浪者は、人生の道を歩む人間の象徴であり、善悪の間で揺れ動く人間そのものを表していると言えるでしょう。

放蕩息子の寓意か

多くの研究者は、この作品の主題を「ルカによる福音書」に登場する「放蕩息子の帰還」と関連付けて解釈します。しかし、描かれている人物は若くはなく、むしろ罪深い現世をさまよう放浪者や巡礼者として捉える方が適切であると考えられます。

結論

『放浪者』は、単なる風俗画ではなく、人間の道徳的な選択や葛藤を深く掘り下げた寓意画です。ヒエロニムス・ボスの独特な画風と象徴的なモチーフが、見る者に深い印象を与える作品と言えるでしょう。

参考文献

小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』、新潮社、2015年
岡部紘三『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』、河出書房新社、2014年
* ヴァルター・ボージング『ヒエロニムス・ボス 天国と地獄の間で』、TASCHEN、2007年

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