日暮里大火 (1963年)

1963年（昭和38年）4月2日の午後、東京都荒川区日暮里町（現在の東日暮里にあたる地域）で発生した大規模な火災は、「日暮里大火」として記憶されています。この火災は、約7時間にわたり燃え続け、市街地の広範囲に甚大な被害をもたらしました。幸いにも死者は出ませんでしたが、220名もの負傷者を出したほか、36棟の家屋が全焼するなど、当時の東京における都市型火災の危険性を浮き彫りにした事例として知られています。

発生と拡大

火災発生当日の1963年4月2日は、青空が広がる快晴でしたが、風が非常に強い一日でした。正午には都心で最大瞬間風速21m/sを観測するなど、強風が吹き荒れており、午前中にはすでに都内全域に火災警報が発令されるほどの警戒が必要な気象条件でした。

午後2時56分頃、荒川区日暮里町2丁目にあった寝具製造会社の作業場から炎が上がりました。出火原因は、作業員がタバコの火のついたマッチ棒を、誤ってシンナーが入ったバケツに捨ててしまったことによる爆発炎上でした。

わずか3分後の午後2時59分頃には、近隣の工場に設置された火災報知機から119番への通報が行われました。しかし、最初の消防隊（日暮里小隊）が現場に到着した時には、すでに強風にあおられた火の勢いは増し、作業場の東側へと急速に燃え広がっていました。

午後3時15分頃には、約100メートル離れた倉庫へ火の粉が飛び、延焼。さらにその5分後には、道路を隔てた南側のゴム製品工場にも飛び火しました。延焼した倉庫にはビニールやポリエチレンなど約20トン、ゴム製品工場にはタイヤやゴムなど約1000トンといった、燃えやすく大量の特殊可燃物が集積されていたため、火勢はさらに拡大し、同時に凄まじい量の黒煙が発生しました。この黒煙は東京湾上空にまで達し、遠く離れた上野公園や御茶ノ水からでも、立ち昇る煙がはっきりと確認できるほどでした。

消火活動の困難

急速に拡大する火勢に対し、東京消防庁は応援部隊を次々と投入し、最終的には1,091名の消防職員・消防団員と83台の消防車が動員されました。また、警視庁も51台のパトカーや白バイを派遣し、現場周辺の交通整理や被災者の避難誘導にあたりました。

しかし、消火活動は極めて困難を伴いました。火災が発生した日暮里地区は、金町浄水場からの配水管の末端にあたる地域で、普段から水道の水圧が低いという問題を抱えていました。類焼を防ごうと、消防や警察が近隣住民に屋根や壁への散水を指示したところ、数百軒の家が一斉に水道の蛇口を開放。これにより、通常時でも水圧が低いこの地域では、ほとんど水が出なくなってしまったのです。「夕食時などでも水の出が悪いが、この時は全く水が出なかった」といった住民の証言も残されています。

消防は、近くにあった荒川区立第三日暮里小学校のプールに貯められていた約250トンの水を消火用水として活用しましたが、これも1時間ほどで使い果たしてしまいました。その後は、1km以上離れた谷中出張所の消火センターから、ポンプ車3台を数百メートル間隔で配置し、バケツリレーのように消火用水を火災現場まで送り続けるという、苦肉の策で対応せざるを得ませんでした。

炎は約7時間にわたって燃え続け、ようやく鎮火が確認されたのは午後9時58分のことでした。消防隊が現場から完全に引き上げたのは、翌日4月3日の午前5時過ぎでしたが、翌日の日中になっても、焼け跡の所々から煙が立ち昇っており、地元の住民がバケツを使って消火活動を続けていたという記録も残っています。

火災後の現場には、約5,000トンにも及ぶ膨大な量の焼けクズが発生し、その処理も大きな課題となりました。焼けクズの回収作業には、4月4日から数日間にわたり自衛隊員700名が派遣されるなど、大規模な対応が必要となり、その処理費用は約2億4千万円かかると試算されました。

被害の詳細

日暮里大火による人的被害は、負傷者約220名（うち消防隊員13名）、罹災者326名（78世帯）に及びましたが、奇跡的に死者は一人も出ませんでした。火災の規模から考えると異例のことですが、これは火災発生が昼間だったため、多くの住民が避難する時間と猶予があったことが大きな理由と考えられています。

建物の被害としては、36棟の家屋が全焼し、市街地の焼失面積は合計で5,098平方メートルに達しました。

大火に至った主な要因

この火災が発生し、短時間で大規模な大火となった背景には、いくつかの複合的な要因がありました。

火元工場の問題: 出火元となった寝具工場では、可燃性のウレタンフォームやポリスチレンペーパーなどを材料として使用していましたが、作業場内には喫煙場所が指定されておらず、また初期消火設備も小型消火器3本しか備えられていませんでした。また、延焼したゴム製品工場に集積されていた特殊可燃物の量は、届け出量の約2倍に達していたとされます。
地域構造の脆弱性: 延焼地域である日暮里町2丁目一帯は、廃品回収業者が多く集まり、ボロ布や紙製品、ゴムなどの可燃物が野積みにされている場所が点在していました。また、建物の大半が老朽化した木造建築物であり、狭い道路に車両が駐車されている箇所が多く、消防車の迅速な通行を妨げました。
水利の悪さ: 前述の通り、この地域は金町浄水場からの配水管末端にあたるため、消火栓からの放水に必要な水圧が確保しづらい状況でした。これは消火活動を大きく阻害する要因となりました。
悪天候: 火災当日は、乾燥注意報が出ているほどの乾燥状態に加え、強い北風が吹き荒れていました。これは、江戸時代に江戸の町で多くの大火を引き起こした際と同様の、火災が延焼しやすい典型的な気象条件でした。なお、日暮里大火と同じ時間帯には、都内別の地域（大田区、練馬区）でも火災が発生しています。

大火後の対応と影響

日暮里大火は、その後の防災対策に様々な影響を与えました。

出火原因者の逮捕: 火災の原因を作った寝具工員の男性は、荒川警察署により重失火罪で逮捕されました。
特殊可燃物対策の強化: 大規模延焼の原因となった特殊可燃物の危険性が再認識され、その貯蔵施設の防火・耐火構造化や、野積み貯蔵に対する指導の強化、効果的な消火方法の検討などが行われました。
消防職員の個人装備見直し: 大量の黒煙や火の粉によって目を傷めた消防関係者が多く発生したことから、防火衣やヘルメット、ゴーグルといった個人装備の充実が検討される契機となりました。
灰となった紙幣の交換: この大火で焼け焦げて灰となった紙幣でも、日本銀行に持ち込めばその灰の重量に応じて新しい紙幣と交換してもらえるという制度が知られるようになり、火災に備えて紙幣を金属容器に入れて保管する住民が現れるといったエピソードも生まれました。

日暮里大火は、都市部の木造密集地域における火災の恐ろしさと、強風・乾燥といった気象条件が重なった場合の被害拡大の可能性、そして水利確保の重要性を改めて示す出来事となりました。

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