日章丸事件

日章丸事件：国際社会を揺るがした石油を巡る攻防

1953年（昭和28年）に発生した日章丸事件は、石油資源を巡る国際的な政治力学と、一企業の不屈の精神が交錯した歴史的な出来事です。この事件は、当時の国際的な石油利権構造、各国の思惑、そして一企業の決断が複雑に絡み合い、世界を驚かせました。

事件の背景：イランの石油国有化と国際的な圧力

第二次世界大戦後、イランは独立を果たしましたが、豊富な石油資源はイギリスの石油会社アングロ・イラニアン社（AIOC、後のBP）によって管理され、その利益はイラン国民にほとんど還元されていませんでした。この状況に不満を抱いたイランは、1951年に石油の国有化を宣言。AIOCの資産を接収し、イラン国営石油会社（NIOC）を設立しました。これに対し、イギリスは軍艦を派遣してイランへの石油輸出を阻止しようとし、事実上の経済制裁を実施しました。この対立は「アーバーダーン危機」と呼ばれ、国際的な緊張を高めました。

出光興産の決断：経済制裁への挑戦

一方、戦後の日本は、連合国との同盟関係から独自の石油輸入ルートを確立することが難しく、経済発展の大きな足かせとなっていました。このような状況下で、出光興産の社長である出光佐三は、イランの窮状と日本の経済状況を憂慮し、経済制裁に国際法上の正当性がないと判断しました。そして、イギリスとの衝突を覚悟の上で、タンカー「日章丸」を極秘裏にイランへ派遣することを決意しました。出光佐三は、専務の出光計助をイランに派遣し、モハンマド・モサッデク首相らと交渉を行い、石油輸入の合意を取り付けました。

日章丸の航海：イギリス海軍の封鎖を突破

日章丸は、航路を偽装し、イギリス海軍の目を欺きながら1953年 3月23日に神戸港を出港。4月10日にはイランに到着し、このニュースは世界中に報道され、国際的な事件として認知されました。日本国内では、武装を持たない一民間企業が世界有数の海軍力を持つイギリスに立ち向かったとして、連日新聞の一面を飾るほど大きなニュースとなりました。4月15日、日章丸はガソリンと軽油を積み込み、国際社会が注目する中、イギリス海軍の封鎖を突破し、5月9日に川崎港に帰還しました。

その後の展開：裁判と国際的な影響

アングロ・イラニアン社は積荷の所有権を主張して出光を提訴しましたが、裁判所は出光側の正当性を認め、仮差し押さえの申し立てを却下しました。この裁判の結果は、出光側の勝利として国際的に注目されました。しかし、イランのモサデク首相がクーデターで失脚したこと、石油メジャー各社の結束が強まったことなどから、出光によるイラン産石油の輸入は3年で終了しました。しかし、この日章丸事件は、世界的に石油の自由な貿易が始まるきっかけとなったと評価されています。