未必の故意 (戯曲)

安部公房が手がけた戯曲『未必の故意』は、全11景で構成され、1971年9月10日に新潮社から単行本として刊行されました。

この作品は、実際に発生した姫島村リンチ殺人事件から着想を得ており、その原型は1964年に放送されたテレビドラマ『目撃者』にさかのぼります。

物語の舞台は、外部から隔絶されたある小さな島。島を牛耳ろうとするヤクザ者が、消防団長を中心とする島民たちの計画的な犯行によって撲殺されます。しかし、彼らはこれを偶発的な出来事、すなわち「未必の故意」に見せかけようと画策します。

事件後、警察の捜査が始まるまでの間に、消防団長は団員や島民を集め、周到な準備として模擬裁判を行います。この劇中劇の形式をとる模擬裁判が進むにつれて、事件の生々しい状況や島に根差す複雑な人間関係、そして何よりも団長がヤクザ者と同様に島を支配しようとする真の意図が徐々に露呈していきます。

安部公房は本作の主題を、人間の内なる孤独への恐れが、見せかけの連帯や狂気を生み出し、仮想の「他者」を創り出すことで、共同体そのものが内的な孤独の投影として形成される様にあると語っています。ラストシーンでは、まさにこの共同体の中心にいたはずの団長の、むき出しの孤独な姿が描かれます。安部はこの劇構造について、ブレヒト的な客観的手法から、結末ではギリシャ悲劇のような内的な進行へと変化させたことを説明しています。

また、本作の最大の特徴は、俳優が「島民を演じる者」として振る舞うという二重構造の劇中劇形式にあると安部は指摘します。これは「演劇とは何か」という根源的な問いであり、俳優には自分自身を捉えるだけでなく、自己から完全に離れた「反自己」をも同時に把握するという、生理的なレベルでの二重の演技が求められると解説しています。作中の模擬裁判（通称「裁判ごっこ」）は、まさに「演じることそのものを演じる」メタ演劇的な手法として機能しているのです。

登場人物は、事件を主導する消防団長、彼に半ば従属する形で殺人に加担する義足のちんば、眼帯のめっかち、補聴器のつんぼといった身体的な特徴を持つ青年消防団員たち、そして犠牲者の愛人であったバーの女給クミ子、さらには島民A、B、C、そして島の教師などが登場し、それぞれの証言や行動を通じて事件の様相や島の空気が描かれます。

物語は、消防団長の指揮のもと、模擬裁判が進行する中で予期せぬ事態が次々と起こります。教師は供述の矛盾や計画性を見抜き、集団謀殺として扱われる危険性を指摘します。上の階で模擬裁判を聞いていたクミ子の存在が発覚し、団長は反抗的なつんぼの補聴器を踏み潰します。聴こえなくなったつんぼと、島からの脱出を阻まれたクミ子の間で悲劇が起こり、クミ子は崖から身を投げて命を絶ちます。それでも続く模擬裁判の中で、教師が団長の供述の不自然さや動機の希薄さを追及すると、苛立った団長は教師をも殺害し、島民に死体処理を命じます。最後に一人残された団長が、義足をストーブに投げ込み、警察の到着を待つ場面で幕を閉じます。

作品評価として、批評家の高橋信良は、模擬裁判によって共同体意識の幻想性や個人の孤独が強調される様、そして虚構であるはずの劇中劇が現実を侵食していく現象が、観客と舞台の関係にも通じ、演劇そのものへの問いを孕んでいることを論じています。文学者のドナルド・キーンは、団長がつんぼの補聴器を踏み潰す場面の劇的な瞬間を挙げつつ、『未必の故意』が単なる安部公房の思想を示すだけでなく、読み物としても舞台としても「実に面白い芝居」であり、「安部公房文学の最高峰の一つ」と高く評価しています。

本作は1971年9月10日、俳優座劇場で井川比佐志主演、千田是也演出により初演され、各地を巡演しました。翌年には第22回芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。登場人物の呼称を巡っては、京都での公演時に一部から抗議があったことに対し、演出の千田是也が誌上で応答するという出来事もありました。

主な刊行本としては、単行本（新潮社、1971年）のほか、ドナルド・キーンによる解説を付した文庫版（新潮文庫、1989年）や、彼の英訳版（Columbia University Press、1993年）も存在します。また、原型となったテレビドラマ『目撃者』の脚本は、『現代文学の実験室1 安部公房集』（大光社、1970年）に収録されています。

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