東萊城の戦い

文禄元年（1592年）4月に行われた東萊城の戦いは、同年に始まった日本による朝鮮侵攻、文禄・慶長の役の初期における極めて重要な戦闘の一つでした。この戦いは、釜山鎮陥落後、日本軍が内陸部への足掛かりを得るために、朝鮮側の戦略的要衝である東萊城を攻略したものです。

釜山とその周辺の砦を短期間で制圧した日本軍にとって、沿岸部に確固たる橋頭堡を築くことは喫緊の課題でした。釜山の北、わずか数キロメートル内陸には、都護府が置かれ、北方の首都・漢城へと通じる主要街道を押さえる東萊城がありました。この城は、山の地形を巧みに利用した堅固な山城であり、日本軍が朝鮮半島の深部へ進むためには必ず押さえなければならない拠点だったのです。そこで日本軍は、まず東萊城へとその矛先を向けました。

日本軍が迫っているという報が東萊に届いたのは、攻撃前日の4月13日のことでした。東萊府使であった宋象賢（ソン・サンヒョン）は、急ぎ城内の軍民を集めるとともに、周辺地域の軍民にも集結を命じるべく梁山郡守の趙英珪（チョ・ヨンギュ）らに伝令を送りました。一方、慶尚左道の最高指揮官である慶尚左兵使の李玨（イ・ガク）は、北の兵営城（現在の蔚山）から東萊城に入城しましたが、既に釜山鎮が陥落したことを知ると、顔面蒼白となり逃亡を図ろうとしました。宋象賢は彼を引き止めようとしましたが、李玨は「大将たる者は自らの生命を危険に晒してはならない。府使が城を守れ。私は戦場から離れて指揮を執る」と主張し、その夜のうちにわずかな手勢を引き連れて城を抜け出し、約10キロメートル離れた蘇山駅（ソサンニョク）で宿営しました。指揮官の戦場放棄という異常事態が発生していたのです。

釜山で一夜を過ごした後、日本軍の一番隊を率いる小西行長らの部隊は、4月14日の午前6時頃に釜山を出発しました。彼らはわずか2時間後には東萊に到着し、間もなく城へと接近しました。日本軍は東萊城を幾重にも取り囲み、城の近くの広場には、いつでも突撃できる部隊が待機しました。城内では、宋象賢が南門楼の上階に陣取り、全軍を指揮していました。彼は朝鮮の伝統的な方法に倣い、大太鼓を打ち鳴らして兵士たちの士気を鼓舞しました。

小西行長は、前回の釜山鎮の戦いと同様に、まず降伏を勧告しました。彼は「戦わば即ち戦え、戦わねば即ち道を假（か）せ」、つまり「戦うなら戦え、戦わないなら（明へ行く）道を貸せ」と書いた木札を城内に投げ込みました。朝鮮側はこれを無視せず、宋象賢は木札を投げ返して「死ぬは易く、道を假すは難し」、すなわち「死ぬのは容易いが、（日本に）道を貸すのは難しい」と返し、日本軍の要求を断固として拒否しました。

日本軍は城壁に対する包囲攻撃を三度にわたって敢行しましたが、宋象賢は半日近くにわたって指揮を執り続け、朝鮮軍はよく防戦しました。しかし、城が落ちないのを見た小西行長は、翌4月15日明け方、自ら軍を率いて東萊城への総攻撃を指揮することを決定しました。彼はこの時、敵将を必ず生け捕りにするように命令を出していたと伝えられています。

日本軍は、山の斜面側からの侵入を試みました。彼らは城壁に取り付いて梯子をかけ、上り始めました。朝鮮軍は弓矢を放ち、城壁の上から屋根瓦などを投げ落としてこれに応戦しました。東萊城には既に、釜山鎮の戦いで日本軍が火縄銃を使用したという情報が伝わっており、朝鮮軍は長い板でできた防弾盾を大量に用意していましたが、日本の高性能な火縄銃の火力の前には、それはほとんど役に立ちませんでした。日本軍は、腰に付けていた小さな幟（のぼり）を長い竿に結びつけ、片手で高く掲げながら登るという戦法を用いました。これにより朝鮮軍の狙いを惑わせ、次々と城内への侵入に成功していきました。

日本軍が雪崩を打つように城内になだれ込むと、代将の宋鳳寿（ソン・ボンジュ）、梁山郡守の趙英珪、東萊教授の盧蓋邦（ノ・ゲバン）、助防将の洪允寛（ホン・ユングァン）といった朝鮮側の主要な指揮官たちが次々と討ち死にしました。城の陥落を悟った宋象賢は、朝服に着替えて楼閣に上り、静かに端坐して動きませんでした。しかし、日本兵が生け捕りにしようと彼を取り囲んだため、宋象賢は尖った朝鮮の靴で抵抗し、そして刺されて絶命しました。落城の際、宋象賢は自身の扇に「孤城月暈り大鎮救わず 君臣の義重く父子の恩軽し」（月が暈をかぶった孤立した城は、大きな町（漢城）から救われず。君臣の義は重く、父子の恩は軽い）という辞世の句を書き記し、従者にこれを父親に届けるよう言い残して息を引き取ったと伝えられています。城内の制圧は、わずか2時間ほどで完了しました。東萊が陥落すると、釜山鎮と同様に、逃げ遅れた多くの軍民が無差別に殺害されました。日本側の宗氏家臣であった柳川調信（やながわ・ちょうしん）は、以前宋象賢と面識があったことから、その遺体を見つけて憐れみ、棺に納めて城外に丁重に葬ったといいます。小西行長や宗義智（そう・よしとし）は、捕虜となっていた蔚山郡守の李彦誠（イ・オンソン）に対し、「明への通過を許可せよ」という内容の書簡を持たせて朝鮮国王に届けるよう命じ、解放しました。しかし、李彦誠はこの書簡を国王に渡すことなく破棄し、咎められるのを恐れて自力で逃亡したと後に主張しています。

東萊城を手に収めた日本軍は、城内に残されていた武器、食糧、牛馬などを接収し、兵士の休養や負傷者の手当のために2日間滞在しました。その後、彼らはさらに内陸へと進撃を開始しました。釜山鎮に続き東萊までもが陥落したという報は、梁山（ヤンサン）、密陽（ミリャン）、清道（チョンド）、大邱（テグ）など各地の朝鮮軍に大きな衝撃を与えました。これらの地の守備隊は、城内にあった物資を携行して逃走し、小西隊はこれらの無人となった城塞をほとんど抵抗を受けることなく占領していきました。

東萊城の確保は、日本軍にとって極めて重要な意味を持っていました。これにより、釜山を中心とした沿岸部の橋頭堡の安全が確実なものとなっただけでなく、首都・漢城へと続く主要な北上ルートが開かれたのです。釜山と東萊の城にはすぐに守備隊が置かれ、釜山港は朝鮮半島への上陸拠点として本格的に機能し始めました。翌月には、この港から実に10万人もの兵員と、それに伴う装備、馬、補給物資などが次々と陸揚げされていったのです。

東萊城から逃げ出し、李玨が宿営していた蘇山駅の陣に合流した朴泓（パク・ホン）は、東萊陥落の報を聞くと、さらに逃亡を続け、4月17日には漢城府に到達して日本軍襲来の第一報を伝えました。一方、戦場から逃亡した李玨は、後に敵前逃亡の罪を咎められ、朝鮮朝廷により斬首刑に処されることとなります。

この戦いには、いくつかの逸話が残されています。日本の指揮官たちは、文官でありながら勇敢に抵抗した東萊府使・宋象賢の姿勢に感銘を受けたと伝えられています。彼らは宋象賢の遺体を丁重に埋葬し、その墓には「忠臣」と記された木製の碑を立てました。宋象賢の勇敢な戦いは、現在も韓国において伝説として語り継がれており、東萊城があった丘の麓にある忠烈祠（チュンニョルサ）には、釜山鎮の戦いで戦死した鄭撥（チョン・バル）や尹興信（ユン・フンシン）と共に祀られています。そこには、迫り来る日本軍を前に椅子に座って平然としている宋象賢の姿を描いた絵が飾られています。また、宋象賢の妻は戦いの後に捕虜として日本に送られましたが、豊臣秀吉の面前であまりにも悲痛な泣き方をしたため、これに同情した秀吉によって朝鮮に送り返されたという話も伝わっています。

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