松本市左衛門

松本市左衛門（まつもといちざえもん）

松本市左衛門とは、天正年間に泉州堺から江戸に移り、日本橋本町で代々続いた薬種・医療器械商「いわしや総本店」の当主が名乗った名前です。江戸名所図会にもその様子が描かれるほど、江戸の街では広く知られた存在でした。いわしやを名乗る薬種商は数多く存在しましたが、その中でも総本店は本家として特別な地位を確立していました。

本記事では、1885年（明治18年）に家督を相続し、松本市左衛門の名を継いだ竹内新太郎（1863年 - 没年不詳）について、その生涯と業績を中心に解説します。

竹内新太郎（松本市左衛門）の略歴

竹内新太郎は、1863年（文久3年）3月9日、竹内平吉の三男として生まれました。彼の叔父にあたる竹内實道は、先代が浪費を重ねて没落寸前であったいわしや総本店に養子として入り、店と松本市左衛門の名を継ぎました。實道は叩き上げの手腕で家業を立て直し、新太郎はその下で働くことになります。

代々薬種商を営んできた「いわしや」でしたが、1869年（明治2年）からは医療器械の販売も開始しました。特に理化学機器の取り扱いにおいては、「東のいわしや、西の白井松」と並び称されるほどの評判を得ました。1878年（明治11年）11月には、日本初の医療機器カタログとされる「医療器械図譜」を発行。1881年（明治14年）には、第二回内国勧業博覧会に医学諸器械を出品し、一等有功賞を受賞しました。

同年4月、實道には実子がいなかったため、甥である新太郎を養子に迎えました。そして、1885年（明治18年）12月、新太郎は家督を相続し、松本市左衛門の名を継承することになったのです。

いわしやの隆盛

「いわしや」の名は、薬種商として東京で広く知られていました。中でも、下痢止めとして知られる「調痢丸」は、創業当時から伝わる良薬として評判でした。1887年（明治20年）7月には、海防費として二千円を献納したことに対し、黄綬褒章を受章。同年発行された資産家一覧には、資産十万円以上の人物として松本市左衛門の名が記載されています。1889年（明治22年）には、妻ハヤとの間に長男・榮一が誕生しました。

榮一は1922年（大正11年）に家督を相続し、市左衛門を襲名。店舗は日本橋本町三丁目に位置していました。後に、この場所に東京薬業会館ビルを建設する計画が持ち上がった際には、先祖伝来の土地を提供。薬業会館内に「調痢丸本舗」として営業を続ける一方で、本社を杉並区永福町に移転しました。

いわしやの由来

松本家の祖先は、元々は織田信長に仕える武士でしたが、信長の死後、泉州堺で商人になったと伝えられています。1583年（天正11年）に江戸へ進出し、現在の丸の内辺りで薬種商を始めました。1590年（天正18年）に徳川家康が江戸へ移ってくると、城郭拡張のため丸の内周辺の土地は没収され、翌1591年（天正19年）に日本橋本町の代替地を与えられて移転しました。18世紀前半頃に、鰯屋市兵衛から市左衛門へと名前を改め、以後代々その名を継承し、明治維新を迎えたのです。

屋号の「いわしや」の由来には諸説あります。漁の網元が薬の元締めをしていたから、開業当初の丸の内が漁村で鰯に縁があったから、調痢丸を積んで航海中に鰯が船に飛び込んできたのが吉兆だったから、など様々な説が語り継がれています。

いわしやの系列

松本市左衛門のいわしや総本店は、明治初期に医療機器販売部門を創設しました。その責任者であった番頭の松本儀兵衛が1883年（明治16年）に独立し、1901年（明治34年）に合資会社いわしや松本器械店となりました。いわしや総本店が本町三丁目にあったのに対し、本町四丁目には松本伊兵衛のいわしやが店を構えていました。この伊兵衛のいわしやも歴史が長く、創業は1663年（寛文3年）に遡ります。

いわしやには、松本姓の系列の他に岩本姓の店もあり、そのルーツは同じく堺にあります。明治20年代には、日本橋本町にあった医療器械商9店舗のうち8店舗がいわしやだったと言われています。いわしやの屋号は世間に広く知られていたため、暖簾分けだけでなく新規参入組もこぞって名乗り、昭和30年代には50店を超えるほどになりました。

家族

養父・實道：先代の松本市左衛門であり、実父・竹内平吉の兄弟。常盤小学校を開設し、日本初の医療機器カタログ「医療器械図譜」を発行した。
妻・ハヤ：田中金次郞の妹。
長男・榮一：1922年に家督を相続し、松本市左衛門の名を継いだ。
長女・鈴子：田中銀之助の弟、虎之輔に嫁いだ。
二女・林子：田中鉱山副社長を務めた田中長一郎の弟・長五郎に嫁ぐ。
二男・正蔵
* 三男・良蔵（良三）

もう一度検索

松本市左衛門