松本重太郎

明治時代、日本の近代化において重要な役割を果たした実業家の一人に、松本重太郎（天保15年/1844年～大正2年/1913年）がいます。彼は関西経済界で「重鎮」と称され、その多岐にわたる事業展開から「西の松本、東の渋沢」と並び称されました。幼名は亀蔵、旧姓は松岡。事業家としてのみならず、近代の数寄者としても知られ、叟軒と号しました。

現在の京都府京丹後市丹後町間人にあたる丹後国竹野郡間人村で、代々庄屋を務めた農家の次男として生まれました。幼くして故郷を離れ、10歳で京都の呉服商に丁稚奉公に入り、3年後には大坂の有力呉服問屋「綿屋利八」に移り、そこで十数年にわたり商業の基礎を学びました。明治元年（1868年）、24歳頃に独立を果たし、松本重太郎と名を改めます。この年は兵庫と大阪が開港した変革の年であり、彼は早速、洋反物のブローカー業を開始しました。当初は行商から始めましたが、次第に事業を拡大し、1870年頃には「丹重」の屋号で店舗を構えるに至ります。彼の事業が大きく飛躍する契機となったのは西南戦争で、軍用羅紗の買い占めによって巨額の富を築きました。

洋反物商として地位を確立した重太郎は、1878年、東区高麗橋に第百三十銀行を設立します。旧徳島藩士の小室信夫と連携し、宮津や福知山の旧藩士らに金禄公債を資本金として出資させることに成功しました。当初は小室の父が頭取に就任しましたが、1880年には重太郎自身が頭取となります。彼の経営手腕により、百三十銀行は急速に発展し、1896年には預貸金規模で住友銀行と肩を並べる関西を代表する銀行の一つとなりました。国立銀行の満期解散後、1898年に普通銀行に転換し、精力的に他の銀行を合併吸収して規模を拡大。1902年末には資本金325万円、関西を中心に15店舗を擁する一大銀行グループへと成長しました。1898年には大阪銀行集会所の委員長を務めるなど、名実ともに大阪の代表的な銀行家としての地位を確立します。

銀行業と並び、重太郎の事業の二本柱となったのが紡績と鉄道です。紡績分野では、1882年に設立された大阪紡績の創立に関わりました。東京資本との連携もありましたが、設立後の経営は松本や藤田伝三郎ら大阪側が主導権を握り、重太郎は1887年から1898年まで頭取を務めました。また、経営不振に陥っていた渋谷紡績所を買い取り堂島紡績所とするなど、積極的に紡績事業を展開。1895年には日本紡織、1896年には稲畑勝太郎らと毛斯綸紡織を設立し、いずれも社長に就任しています。このほか、京都製糸や内外綿、大阪毛糸など、多くの繊維関連企業の設立に関与し、役員を務めました。

鉄道事業では、1884年に日本初の本格的な私鉄とされる阪堺鉄道の設立に参画。この成功を基盤に、1895年には堺から和歌山を結ぶ南海鉄道を設立し社長となります。南海鉄道は後に阪堺鉄道を吸収合併し、今日の南海電鉄の礎を築きました。さらに、1886年に設立された山陽鉄道では、不況による工事停滞という困難な状況の中、1892年に社長に就任。資金調達に奔走し、三原-広島間の敷設を完成させ、日清戦争時の輸送に貢献しました。その後も路線を延伸し、西日本の動脈の一つを形成します。このほか、浪速鉄道や阪鶴鉄道、七尾鉄道、九州鉄道の源流となる豊州鉄道など、多くの西日本の鉄道会社の設立や経営に関わり、広範な鉄道網の形成に大きく寄与しました。また、太湖汽船や内国海運など、海運関連の事業にも関わっています。

これらの主要事業に加え、日本精糖、大阪アルカリ、大阪麦酒（現アサヒビール）、日本火災保険（現SOMPOホールディングス）、日本教育生命保険、明治炭坑など、極めて多様な分野で企業の設立や経営に携わりました。1898年時点の記録では26社の役員を務めており、これは渋沢栄一に次ぐ数でした。まさに日本の産業勃興期において、広範な事業領域をカバーした稀有な実業家だったと言えます。

しかし、1901年から1902年にかけての恐慌は、重太郎が関わる一部の企業に深刻な影響を与え、これが百三十銀行の経営を圧迫します。特に日本紡織の経営不振は深刻で、質の劣る製品や中国市場での販売不振が響き、多額の赤字を百三十銀行からの融資で補填していました。1904年6月に百三十銀行が破綻した際、日本紡織への融資約170万円のほとんどが不良債権化していました。また、百三十銀行は頭取である重太郎個人や、彼の洋反物商である松本商店へも巨額の融資を行っており、これもまた恐慌の影響で焦げ付きが発生しました。これらの不良債権に加え、人物本位の融資方針や取引の敏活さゆえに生じた各地の支店での融資焦げ付きも重なり、百三十銀行は休業に追い込まれます。その再建は政府の特別融資を受けた安田善次郎に委ねられました。この事態を受け、重太郎は約101万円を弁済した上で、百三十銀行を含む全ての関係会社の役職を辞任し、実業界から引退しました。

百三十銀行の破綻は、頭取が自身や関係企業の「金庫」のように銀行を利用したことや、担保よりも人物を重視した融資方針などが要因と指摘されます。しかし、松本重太郎の事業家としての功績は、破綻した銀行だけにとどまりません。彼が設立や経営に深く関わった大阪紡績（現東洋紡）、南海鉄道（現南海電鉄）、山陽鉄道（現在のJR西日本の一部）、日本火災保険（現在の損害保険ジャパン）、大阪麦酒（現アサヒビール）など、多くの企業が現代まで存続し、日本の経済を支え続けています。また、百三十銀行の融資によって創業期を支えられ、発展の基礎を築いた企業も少なくありませんでした。その意味で、彼は今日のベンチャービジネスにおける「エンジェル投資家」のような役割も果たしたと言えるでしょう。

実業界引退後、重太郎は豪壮な本邸を引き払い、質素な住居で晩年を過ごしました。二度と実業界に戻ることはありませんでした。癌を患い、69歳でその生涯を閉じました。墓所は高野山・奥ノ院にあります。

故郷である丹後では「松本翁」として親しまれ、現在も顕彰活動が続けられています。1957年には地元の小学校に石像が建てられ、没後100年にあたる2013年にはシンポジウムが開催され、以降毎年生誕祭が行われています。また、城山三郎の小説『気張る男』やNHKのドラマ『われ、晩節を汚さず 新夫婦善哉』の題材となるなど、その波乱に満ちた生涯は人々の関心を集めています。2021年には大阪企業家ミュージアムと京丹後市による共催の展覧会が開催され、同年には故郷に「松本重太郎ギャラリー」が開設されるなど、その功績は今なお語り継がれています。

家族としては、埼玉忍藩の武家出身の浜と結婚しました。また、松方正義の十三男である虎吉を養子に迎える一方、事業の後継者としては別に井上枩蔵を選んでいます。枩蔵は後に重太郎が作った日本紡織の社長を務めるなどしましたが、九州電気軌道社長時代に失脚しました。枩蔵の妻は松方正義の娘であり、二人の子であるジャーナリストの松本重治は松方家の孫と結婚するなど、松本家と松方家は複雑な縁で結ばれていました。

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