歯車 (小説)

芥川龍之介『歯車』：晩年の心象風景と謎めいた歯車

『歯車』は、芥川龍之介が1927年3月から4月にかけて執筆した小説です。『玄鶴山房』『蜃気楼』『河童』『或阿呆の一生』といった晩年の代表作に数えられ、この時期の芥川作品に見られる内面世界、心象風景を強く反映した作品と言えるでしょう。 物語らしい物語は展開されず、主人公の異常な精神状態、不気味な幻覚や妄想が克明に描写されています。これは、芥川自身を自殺へと追いやったであろう、苦悩や葛藤を反映していると言えるでしょう。第一章は生前に発表され、残りは遺稿として発見されました。遺稿作品の中では、唯一の純粋な小説として位置づけられています。

物語の概要：レインコートと回転する歯車

主人公である「僕」は、友人の結婚式に出席するため東京のホテルに向かいます。その途中、奇妙な話を耳にします。季節外れのレインコートを着た幽霊の目撃談です。その後、主人公は繰り返し、季節外れのレインコートを着た人物を目撃するようになり、不気味な感覚に襲われます。結婚式後、ホテルに滞在して執筆活動を始めると、義兄がレインコートを着たまま交通事故で亡くなったことを知ります。

さらに、主人公の視界には、時折、半透明の歯車が回転しているように見えるという不可解な現象が発生します。この歯車のイメージは、主人公の精神的な動揺を象徴的に表していると考えられます。東京の生活に耐えかねた主人公は、妻の実家へ帰りますが、不吉な現象は続きます。激しい頭痛に苦しみながら横になっていると、妻から「お父さんが死にそうだった」という言葉を聞きます。主人公は、もはや自分の人生に絶望し、眠っている間に誰かに殺してもらいたいと願うまでに追い詰められます。

高い評価と批判的な意見：傑作か、それとも…

『歯車』は、同時代の多くの作家から非常に高い評価を受けています。佐藤春夫は「彼の作中第一」、堀辰雄は「生涯の大傑作」、広津和郎は「芥川君の全作品中でも逸品だと考える」、川端康成は「すべての作品に比べて断然いい」と絶賛しています。これほどまでに評価が高い理由は、芥川の繊細な心理描写と、独特の幻想的な世界観にあると言えるでしょう。

しかし、一方で、久米正雄、宇野浩二、徳田秋声といった作家からは、書きすぎて雑音があるという批判的な意見も出ています。これは、物語の構成や描写の散漫さ、あるいは読者の理解を超えた難解さといった点に起因しているのかもしれません。

医療における解釈：片頭痛との関連

興味深いことに、2009年度の医師国家試験では、主人公が視界に捉えた「歯車」の表現を題材に、その原因として片頭痛が問われました。これは、視覚的な幻覚や閃輝暗点といった片頭痛の症状と、「歯車」の描写が類似しているためと考えられます。この出題は、文学作品における描写が、医学的な症状の理解にも繋がる可能性を示唆しています。

まとめ：不気味な幻想と精神の深淵

『歯車』は、芥川龍之介の晩年の暗く、内省的な世界観が凝縮された作品です。主人公が経験する不可解な現象、そして精神的な崩壊は、読者に強い衝撃を与えます。その独特の表現方法、高度な心理描写は、多くの読者や研究者を魅了し続けていますが、一方で、その難解さゆえに、様々な解釈が生まれ続けている作品でもあります。 現代においても、読み解く者の解釈によって、その意味合いが変化し続ける、奥深い作品と言えるでしょう。

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