水中都市

水中都市

『水中都市』（すいちゅうとし）は、日本を代表する作家、安部公房が手がけた短編小説です。現実と非現実が交錯する安部文学初期の重要な作品の一つとして知られています。

発表と収録

本作は、1952年（昭和27年）に雑誌『文學界』6月号に初めて掲載されました。同年12月10日には、未来社より刊行された短編集『闖入者』に収録されています。その後、1964年（昭和39年）12月10日には、本作を表題作とする単行本『水中都市』が桃源社から刊行され、文庫版は新潮文庫から手に入ります。

あらすじ

物語は、製薬会社で働く主人公「おれ」が、同僚の間木と飲んだ帰り、駅で共産党の新聞売りに絡む不審な男を目撃するところから始まります。男は「おれ」と同じ方向へ向かい、ついには「おれ」のアパートに上がり込み、一方的に「おれの父親」だと名乗って居座ります。「おれ」は困惑しつつも父親を無視しますが、翌日、間木の家で彼が描いた絵に奇妙な既視感を覚えます。それは堤防から見た「おれ」たちの勤める工場を含む街の風景でしたが、水の中に沈んだ異様な光景でした。

アパートに戻ると、父親は身体が異常にむくみ、ジュゴンのような姿に変貌していました。その体は加速度的に膨張し、やがて腹が破裂して一匹の魚に姿を変え、宙を漂います。突如、窓ガラスが割れ、魚となった父親は外へ飛び去ってしまいます。その瞬間、間木が訪れますが、既に周囲は間木の絵さながら、街全体が水没していました。「おれ」と間木もまた、水中に浮かび上がってしまいます。

水没した街には、魚に首を噛み切られた人々が無数におり、手探りでさまよっています。魚避けの念珠を売る怪しげな男も現れますが、その男は魚になった父親に食われてしまいます。野良魚と化した父親は、警察魚を従えた一団に逮捕され、間木は、「おれ」も野良魚を養った疑いで指名手配されていると告げます。二人は堤防を目指して逃走し、そこから変わりゆく工場の風景を静かに眺めます。「おれ」は、この異常な光景を理解しようと深く考え込み、「この悲しみは、おれだけにしか分らない……」と感じるのでした。

主な登場人物

おれ: 物語の語り手であり主人公。製薬会社の事務員。アパートで一人暮らし。
間木: 「おれ」の同僚で友人。商品宣伝ポスター制作担当。奇妙な絵を描く。
h野郎: 「おれ」の前に突然現れ、父親と名乗る男。満州での巡査経験を語り、魚に変身する。
共産党の新聞売り: 駅でh野郎に絡まれる大男。戦後は政治活動をしている。
念珠屋: 水没した街で魚避けの念珠を売る男。実は刑事。

作品評価・解釈

本作は、安部公房が日本共産党員だった時期に書かれました。発表から長年を経て、安部自身が本作について述懐しています。

文芸研究者の田中裕之は、本作における魚への「変形」を、同時期の作品における変身譚と比較しつつ論じています。共産党の新聞売りの言葉や、街の水没という設定に着目し、「水」と「変革」の関連性を指摘。念珠屋の言葉も踏まえ、氾濫する「水」が当時の「アメリカに植民地化された日本の悪しき経済状況――いわゆる水浸しの経済状況」を象徴している可能性を示唆しています。

一方、安部文学の紹介者として知られるドナルド・キーンは、『水中都市』をユーモアに富む気に入りの作品として挙げています。安部作品の魅力は説明困難な部分にあるとし、哲学的な側面や現代芸術との関連といった学術的研究も重要だが、特に初期の短編は難しく考えずに純粋に楽しむべきだと解説しています。

戯曲版『水中都市』

1977年（昭和52年）には、『水中都市』が戯曲化され、『ガイドブック III』として雑誌『新潮』12月号に掲載されました。構成は15景です。小説と同様に父親が魚に変身したり、街が水没する場面は描かれますが、登場人物や物語の筋は小説版とは大きく異なります。

安部公房自身は戯曲版について、「空中浮遊できる父娘を巡るファンタスティックかつリアルなブラックコメディ」であり、「推理小説のパロディ」、「存在しないものが存在するようになる基準の入れ替えのドラマ」だと説明しています。

戯曲版あらすじ

空中浮遊術を使い万引きを繰り返す父と娘（飛父、飛娘）に被害を受けた商店主たちが、逆に狂言詐欺や狂人とされ精神病院に収容されていきます。被害者多数となり、ついに飛び親子の家にたどり着いた取調官は、そこで魚に変身していく飛父を目撃します。完全に魚になった飛父は、なんと娘を食べてしまうという衝撃的な結末を迎えます。

主な登場人物（戯曲版）

飛父: 空中浮遊で万引きをする泥棒。魚に変身し娘を食べる。
飛娘: 飛父の娘。父と共に万引きをする。
時計屋の女主人: 飛父に高額な損害を受ける。後に精神病扱いされる。
記者（女主人の夫）: 科学記者。妻の訴えを取り下げさせ、保険金目当てに犯人をでっち上げようとする。独自の理論に囚われ、妻を刺殺する。
取調官: 当初は被害を狂言と疑うが、多くの被害者を見て認識を変え、飛父の変身を目撃する。

おもな公演

初演: 1977年11月、西武劇場にて安部公房スタジオ公演。演出・音楽は安部公房自身が担当。
再演: 1978年6月から7月にかけて、地方公演を実施。

おもな刊行本

『闖入者』（未来社、1952年）
『水中都市』（桃源社、1964年）
* 文庫版『水中都市・デンドロカカリヤ』（新潮文庫、1973年、改版2011年）

参考文献

『安部公房全集』（新潮社）、文庫版『水中都市・デンドロカカリヤ』付録解説（ドナルド・キーン）、『新潮日本文学アルバム51 安部公房』（新潮社）、田中裕之「比喩と変形 : 安部公房の変形譚について」（梅花女子大学文学部紀要）などが参照されています。

関連項目

変身 (カフカ)

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