渥美東洋

渥美 東洋（あつみ とうよう）氏は、1935年1月20日に生まれ、2014年1月30日に79歳で逝去した日本の高名な法学者です。特に刑事訴訟法の分野で顕著な業績を残し、中央大学名誉教授、警察大学校名誉教授の称号を得ました。また、京都産業大学客員教授や司法試験考査委員など、多岐にわたる公職・要職を務め、法曹界に大きな影響を与えました。

渥美氏は、幼少期を満洲国新京で過ごし、終戦後に浜松市へ引き揚げました。静岡県立浜松北高等学校を卒業後、1955年に中央大学法学部3年生という異例の若さで司法試験に首席で合格するという、傑出した才能を示しました。翌年には国家公務員六級職試験（後の上級甲種試験）にも上位で合格。中央大学で助手を務めながら司法修習を修了しました。

渥美氏の法学説は、特に刑事訴訟法における独自のアプローチで知られます。彼は、英米法の影響を強く受けた独自の理論を展開し、その学説はしばしば「渥美刑訴」と称されました。渥美説の最も注目すべき点は、通説的な考え方、例えば田宮裕氏らが主張する、公判準備として捜査を捉え、公判と捜査に連続性を見出す考え方（通説ではこれを弾劾主義と捉える）とは全く異なる立場をとったことです。

渥美氏は、アメリカ合衆国憲法が社会契約説に立脚すると理解し、これを継受した日本国憲法も同様であると論じました。この理解に基づき、日本の刑事訴訟法は、英米法の判例によって培われた原理を基礎として解釈されるべきだと主張しました。

氏によれば、大陸法（ドイツ、フランスなど）における刑事手続は、公判での職権主義を基盤とし、捜査は公判に連続する手続きとして、裁判官の発する令状によって規律される糾問主義を採る（これを渥美氏は「糾問主義、職権主義」と呼ぶ）のに対し、英米法に由来する手続き（渥美氏は「弾劾主義、当事者・論争主義」と呼ぶ）では、捜査は公判とは全く別の独立した手続きであり、両者に連続性は認められないとします。渥美氏は、この対比図式が日本の刑事訴訟法を理解する上で不可欠な指針となると考えました。したがって、通説が捜査と公判に連続性を見出し、それを弾劾主義と呼ぶのは、渥美氏の用語法においてはむしろ糾問主義的評価に当たることになります。

また、渥美氏は「職権主義や糾問主義は人権保障に反する」という通念にも異議を唱えました。彼は、西側先進国である大陸法の国々が、これらの主義を採りながらも人権保障を実現している事実を指摘し、人権保障が可能かどうかは、公判構造（職権主義・糾問主義か、当事者主義・弾劾主義か）そのものによって決まるわけではないと論じました。そして、日本国憲法が英米法の流れを汲むものである以上、その基礎の上に立つ日本の刑事手続き法も、英米法の考え方に沿って解釈されるべきだと結論づけました。

渥美氏の重要な貢献は、「捜査の原理」という独自の概念を提唱したことにあります。通説が公判構造に従属するものとして捜査を捉えるのに対し、渥美氏は、捜査は公判に支配されるのではなく、捜査自身の独立した原理によって規律されるべきだと主張しました。彼の博士論文のタイトルがまさに「捜査の原理」であったことは、その重要性を示しています。

渥美氏の捜査観は、現代社会における犯罪捜査の現実を深く洞察したものです。都市化による匿名社会で効果的に犯罪を発見・摘発するためには、捜査は組織的かつ機動的である必要があります。しかし同時に、個人の人権を守ることも絶対に不可欠です。この課題に対し、渥美氏は以下の「捜査の原理」を提示しました。
1. 個人のプライバシー領域を明確に定め、そこに捜査が及ぶ場合は裁判官の審査を必須とする。
2. 裁判官による審査は原則として事前に行う（令状主義）が、それが不可能な緊急時には遅滞なく事後の審査を行う。
3. 被疑者の防御権を保障するため、裁判官の審査手続きに被疑者や弁護人の参加を認める必要があるが、強制捜査前では逃亡や証拠隠滅の恐れがあるため、強制捜査実施後に速やかに防御の機会を提供する。

これらの手続きを整備し、実行することこそが「捜査の原理」であると説きました。これらの考え方の背景には、産業革命や都市化が先行した英米諸国の裁判例から得られる経験知があるとし、渥美氏がアメリカの判例を重視する所以でもありました。

学説各論においては、2010年の刑法改正で廃止される以前の死刑の時効に関する議論にも言及しています。特に、長期間収監されている死刑囚の存在を巡り、死刑の拘禁期間が時効を中断させるとの見解を示しました。一部メディアなどが確定判決から30年で時効成立と主張した際には、これはむしろ30年経過前の死刑執行を促す危険性があると警鐘を鳴らし、実際に長期間収監されていた死刑囚の執行事例が発生した際にその懸念が現実となりました。

渥美氏の人物像を示すエピソードも多く伝えられています。氏は形式的な論理に偏らず、「コンクリートに物事を考える」実践的な思考を重んじました。また、近代法の「法の支配」がヨーロッパの経験知の集積の上に成り立つことを踏まえ、歴史を知ることの重要性を強調しました。氏が訴訟法学者を志した動機は、「実体法で保障された人権は、適正な手続法が整備され実施されなければ絵に描いた餅に終わる」という強い信念に基づいています。「この世界を良くするのは、感傷ではなく、制度と手続きの整備だ」という言葉は、氏の法学への姿勢をよく表しています。自身の少数説が受け入れられるまでに20年の歳月を要した経験から、「通念からの脱却には20年の歳月を要する」と語り、また少数説ゆえの苦難を乗り越え「私は強くなろうと思った」と述懐しています。文学に対しても造詣が深く、良質な文学は論理的に人間の姿や社会の実態を解き明かすと考えていました。子供時代の驚異的な記憶力や、受験時のストイックな生活、母校である中央大学への深い愛校心を示すエピソードなども伝えられています。

教育者としては、中央大学のみならず慶應義塾大学や日本大学などでも教鞭をとり、数多くの法曹界の第一線で活躍する人材を育成しました。主要な著作には、『刑事訴訟法』や前述の『捜査の原理』などがあり、刑事訴訟法学の研究発展に多大な貢献をしました。師事した恩師として吉田常次郎、団藤重光、エイブラハム・ゴールドシュティンらの名を挙げ、門下生には椎橋隆幸、荒木伸怡、柳川重規、洲見光男、清水真といった著名な法学者や、綿引万里子、横田尤孝といった実務家がいます。

渥美東洋氏は、独自の視点と揺るぎない信念をもって刑事訴訟法学を探求し、多くの人々に影響を与えた偉大な法学者でした。彼の学説と教育は、今日の日本の法制度や法曹養成にもその影響を残しています。

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