漢晋春秋

『漢晋春秋』は、東晋時代の習鑿歯によって編纂された歴史書です。成立当初は、簡文帝の生母である鄭阿春の諱を避けて『漢晋陽秋』とも呼ばれていました。後漢の光武帝から西晋の愍帝までの約300年間を扱い、「尊晋」を掲げ、蜀漢を正統とする「蜀漢正統論」を唱えた最初の歴史書として知られています。

本書が成立した背景には、当時の権力者であった桓温の帝位簒奪の野心を諌めるため、あるいは中原を追われた東晋が正統な王朝であることを主張するため、といった説があります。また、『三国志』などの歴史書が説く漢→魏→晋という王朝交代では、晋の正統性を十分に示せないと考えたためとも言われています。

『漢晋春秋』は、蜀と魏の戦いや魏晋交代の際に起きた事件について、『三国志』などが憚って記さなかった裏面も記述しており、唐代の劉知幾からは「近古の遺直」と評価されました。例えば、高貴郷公殺害事件などはその一例です。

しかし、中村圭爾は、習鑿歯の蜀漢正統論は、曹操の簒奪を非難しながら、司馬氏による魏からの簒奪を正当化するために唱えられたものだと指摘しています。つまり、曹操によって成立した魏を正統性のない僭主とし、司馬懿が魏に仕えたのは本意ではなかったと位置づけることで、司馬氏の簒奪を擁護しようとしたというのです。その結果、司馬懿が諸葛亮に敗れた故事や高貴郷公殺害事件といった記述を憚る必要がなくなり、事実をありのままに書くことが可能になったとしています。

また、習鑿歯が蜀漢正統論を唱えた背景には、自身の家系を顕彰する意図があったとする研究もあります。曹操が荊州を侵略した際、襄陽の豪族たちはそれぞれ異なる道を選びました。蔡瑁に代表される襄陽蔡氏は曹操に降伏し、龐徳公や龐統に代表される襄陽龐氏は魏と蜀漢に分かれました。一方、習鑿歯の先祖である習禎や習珍などを輩出した襄陽習氏は、劉備に従いました。そのため、習鑿歯は自身の祖先を顕彰するために蜀漢正統論を唱えたのではないかという見方があります。

『漢晋春秋』は現在散逸していますが、裴松之が『三国志』の注釈を行う際に多く引用したため、その一部を知ることができます。清代には、湯球や黄奭が逸文の収集にあたりました。

参考文献
宮川尚志「漢晋春秋」『アジア歴史事典 2』（平凡社、1984年）
中村圭爾「魏蜀正閏論の一側面」『六朝政治社会史研究』（汲古書院、2013年） ISBN 978-4-7629-6006-2（原論文:1994年）

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