田中長兵衛

田中長兵衛：日本の近代製鉄の礎を築いた先駆者

田中長兵衛は、幕末から明治にかけて活躍した静岡県出身の商人であり、製鉄事業の先駆者として知られています。明治政府が一度は失敗し、廃止した日本初の製鉄所を引き継ぎ、その再建に尽力。困難を乗り越え、ついには事業を成功させ、日本の近代製鉄の礎を築きました。

生涯：鉄屋長兵衛としての出発

1834年（天保5年）、遠江国榛原郡萩間村白井（現在の静岡県榛原郡川根本町）に生まれた田中長兵衛は、若い頃に江戸へ出て、日本橋横山町で「鉄屋」という看板を掲げていた鉄釘銅物商の喜兵衛の店で修行を積みました。1855年（安政2年）には独立し、「鉄屋長兵衛」として麻布飯倉で金物商を始めました。

商才に長けた長兵衛は、薩摩藩邸に出入りを許されるようになり、藩士の伊集院兼常の助けを得て、薩摩藩兵糧方となります。1864年（元治元年）には京橋北紺屋町に米穀問屋を開き、全国から評判の良い米を取り寄せ、独自の配合で美味しい米を作り出しました。

明治維新後、1870年（明治3年）に平民苗字許可令により「田中」の苗字を名乗るも、屋号は引き続き「鉄屋」としました。伊集院兼常や西郷隆盛、松方正義ら旧薩摩藩士との人脈を生かし、官省御用達商人として陸海軍への食糧や鉄材の調達を手掛け、事業を大きく発展させました。特に東京市内の陸軍各部隊への糧食供給は、長兵衛がほぼ一手に引き受けていたため、「鉄長（鐵長）」のハンテンを着た人夫が市内いたるところで見られたといいます。

1874年（明治7年）の台湾出兵では、大倉喜八郎の依頼で人夫職工を集め、自身も軍に帯同することになりました。台湾での過酷な状況下で多くの人夫が命を落とすという悲劇もありましたが、この経験は長兵衛に大きな影響を与えたと考えられます。

製鉄事業への挑戦：逆境を乗り越えて

1882年（明治15年）、官営釜石製鉄所が失敗により廃業となると、長兵衛は娘婿の横山久太郎と共に釜石を視察。荒廃した製鉄所の様子を目の当たりにし、当初は事業の引き継ぎに躊躇しました。しかし、横山や長男・安太郎の熱心な説得を受け、かねてから抱いていた鉄材の国内生産の必要性への思いから、ついに製鉄事業に挑戦することを決意します。

1884年（明治17年）末、長兵衛は横山久太郎を現場の総責任者とし、釜石の土地を借り受け、鉄鉱石などの払い下げを受けました。新たに小型高炉を建造し、官営時代の技術者も迎え入れ、1885年（明治18年）1月より、民間の手による製鉄業への挑戦が始まりました。

しかし、事業は困難の連続で、46回もの失敗を重ねました。1886年（明治19年）7月には、長兵衛が横山に解雇を覚悟させる電報を送るほど状況は逼迫しました。しかし、現場の責任者であった高橋亦助が、従業員たちの熱意に動かされ、これまで不良鉱石として扱われていた鉱石を試したところ、ついに製鉄に成功。1886年（明治19年）10月16日、日本の製鉄史に残る日が訪れました。

釜石鉱山田中製鉄所の発足：日本の鉄鋼業を牽引

1887年（明治20年）3月、長兵衛は正式に釜石の土地、建物、機械類等の払い下げを受け、同年7月には釜石鉱山田中製鉄所を発足させ、横山久太郎を初代所長に任命しました。田中製鉄所は、1901年（明治34年）に官営八幡製鉄所が設立されるまで、国内唯一の高炉製鉄事業者として、日本の銑鉄供給に大きな役割を果たしました。

長兵衛は、製鉄事業の成功にとどまらず、輸送網の構築や鉱山鉄道の再開など、多岐にわたる事業を展開し、日本の産業発展に大きく貢献しました。1901年（明治34年）11月7日、67歳でその生涯を閉じましたが、彼の遺志は息子によって引き継がれ、釜石の鉱山と製鉄所はさらに発展を遂げました。

田中長兵衛の功績は、没後も称えられ、銅像が建立されるなど、その名は日本の産業史に永く刻まれています。

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