田漢

田漢：中国国歌作詞家の人生と時代

田漢(1898-1968)は、20世紀中国を代表する劇作家、作詞家、そして詩人です。現在も中国の国歌である『義勇軍進行曲』の作詞者として広く知られていますが、彼の生涯は激動の時代と深く結びつき、数々の栄光と苦難を経験した、ドラマチックなものでした。

湖南省長沙出身の田漢は、1912年、長沙師範学校に入学し、その後1917年には日本に留学、東京高等師範学校で学びます。この留学時代には、後に中国の著名な文学者となる郭沫若と親交を深めました。日本の文化に触れた経験は、後の彼の創作活動に少なからず影響を与えたと考えられます。

1920年に帰国した田漢は、上海で中華書局に勤務しながら、妻の易漱瑜と共に雑誌『南国月刊』を創刊。同誌で戯曲を発表し、中国における近代劇の発展に貢献しました。その後も精力的に創作活動を続け、やがて中国話劇を代表する劇作家の一人として確固たる地位を築きます。1925年には劇団「南国社」を設立、さらに1928年にはこれを発展させて文学、絵画、音楽、演劇、映画の5部門を擁する南国芸術学院を設立するなど、文化活動の振興にも尽力しました。

1932年には中国共産党に入党。そして1935年、愛国映画『風雲児女』の主題歌として作詞したのが、後の中国国歌となる『義勇軍進行曲』です。この曲は、当時中国を覆っていた侵略の危機感と抗日への決意を力強く表現し、瞬く間に国民的な歌として広まりました。

日中戦争（抗日戦争）中は桂林で演劇団体を組織し、文化活動を通して国民の抵抗意識を高める活動を行いました。戦後、中華人民共和国成立後は中国戯劇家協会主席や政府文化部の要職を務め、話劇のみならず京劇などの伝統演劇の改革にも指導的な役割を果たしました。京劇『白蛇伝』などの上演台本も執筆するなど、多様な分野で活躍しました。

しかし、1966年に勃発した文化大革命によって、田漢の人生は暗転します。彼の思想や文化的背景、特に日本での留学経験などが批判の的となり、逮捕、投獄されました。そして、1968年12月10日、獄中で70歳で亡くなりました。

文化大革命後も、田漢への弾圧は続き、1970年には周揚、夏衍、陽翰笙と共に「四大悪漢」と非難され、1975年には永遠に党籍を剥奪されるという決定が下されました。そのため、彼の作詞した『義勇軍進行曲』は、曲のみの演奏となり、公式の場では『東方紅』が歌われるようになりました。

しかし、1979年、田漢の名誉は回復。そして1982年、第5期全国人民代表大会第5回総会において、『義勇軍進行曲』は再び中華人民共和国の国歌として正式に採用されました。

田漢の姪である田偉は、1988年に来日し、1996年には東方文化芸術団を設立するなど、日中文化交流に貢献しています。彼の生涯は、激動の中国近代史を反映すると同時に、文化と政治、そして個人の運命が複雑に絡み合った歴史の縮図と言えるでしょう。彼の業績は、現在も中国文化に大きな影響を与え続けています。

参考文献
劉平『戯劇魂－田漢評伝』　中央文献出版社　1998
田本相・呉戈・宋宝珍『田漢評伝』　重慶出版社　1998
佐藤春夫『一旧友』
谷崎潤一郎『上海見聞録』1926、『上海交遊記』1926

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