白綾地秋草模様小袖

白綾地秋草模様小袖（しろあやじあきくさもようこそで）

江戸時代中期の絵師、尾形光琳（おがたこうりん 1658-1716）が、江戸深川の裕福な材木商、冬木弥兵治政卿（ふゆきやへいじまさきよ）の妻、だんのために描いたと伝わる小袖です。この小袖は冬木家に代々受け継がれたことから「冬木小袖」とも呼ばれています。現在は東京国立博物館が所蔵し、1974年には重要文化財に指定されました。光琳の絵画的特徴が顕著に表れた作品であり、手描きによる「描絵小袖（かきえこそで）」としては数少ない貴重な遺例です。

作品の様式と特徴

この小袖は絹製の綾織（あやおり）で、総丈は約147.2センチメートル、裄丈（ゆきたけ）は約65.1センチメートルです。表地は綾織の白無垢地に、墨と淡い色彩で秋草が描かれています。裏地は白羽二重で、表裏の間には薄い真綿が挟まれた小袖仕立てです。ただし、東京国立博物館の前身である上野の博物館が1877年に購入した際は裏地がなく、展示のために後から付けられたと考えられています。袖の形状は成人女性用の留袖（とめそで）です。

描かれた秋草は、墨の濃淡に加え、菊には黄色や淡い赤、桔梗には藍色の濃淡が用いられています。菊や萩の葉は輪郭線なしで描かれ、ススキやメヒシバは細く速い筆致で表現されています。葉脈や蕊（しべ）には金泥（きんでい）が効果的に使われています。特徴的なのは、着付けた際に帯で隠れる部分には模様が配置されていない点です。帯より上の部分には小さめの秋草を軽く描き、帯より下には大きめの群れを濃いめの配色で配することで、全体のバランスが取られています。これは着物としての実用性を考慮したデザインと言えます。

しかし、宝永年間（1704-1711）から正徳年間（1711-1716）にかけての同時代の小袖は、腰を境に上下で模様を変えたり、裾から肩にかけて大きな模様を繋げたりするデザインが主流でした。この小袖のデザインは同時代の流行とは異なるため、実用品というよりは衣桁（いこう）にかけて飾るための装飾品として制作された可能性も推測されています。

作品の由来と光琳の背景

尾形光琳は京都の裕福な呉服商「雁金屋（かりがねや）」の家に生まれました。曽祖父の代から続く雁金屋は、特に徳川秀忠の妻であるお江や、その後後水尾天皇に入内した娘の和子（東福門院）の御用を勤めることで京都有数の呉服商となり、当時のファッションリーダーとして知られていました。光琳は幼少期から豊かな環境で育ち、父の影響で文化的な素養を身につけましたが、東福門院の死や父による大名貸しの焦げ付きにより、家業は傾き始めます。さらに光琳自身も遺産を散財したため経済的に困窮し、かねてより親しんでいた画業で生計を立てるようになります。土佐派や狩野派とは異なる俵屋宗達（たわらやそうたつ）の画風を学びつつ、銀座商人の中村内蔵助（なかむらくらのすけ）などからの経済的支援も受けました。

しかし家計の苦境は続き、1704年には京都の自宅を手放す寸前となり、同年10月、江戸に在番していた中村内蔵助を頼って江戸へ下ります。江戸では中村内蔵助の紹介で勘定奉行の荻原重秀（おぎわらしげひで）と知り合うなど、大名家や江戸の豪商との交流が始まりました。経済的には安定したものの、大名家が好む狩野派の画風を描くことにフラストレーションを感じていたと言われます。この時期、光琳は雪舟（せっしゅう）や雪村（せっそん）といった水墨画の模写に熱中しました。

江戸滞在中、光琳を支援した人物の一人が、江戸有数の材木商である冬木家の三代目、冬木弥平治政卿でした。冬木家は二代目の政親の時代に芝金杉（しばかねすぎ）の船入堀（ふないりぼり）工事を請け負うなどで江戸屈指の豪商としての地位を確立していました。光琳と冬木家との関係が始まったきっかけは明らかではありませんが、冬木家の京都での商売や、表千家の茶道を通じた繋がり、あるいは中村内蔵助の紹介などが推測されています。「白綾地秋草模様小袖」は、冬木弥平治政卿に男子がなく、早くに亡くなった娘が一人いただけであること、そして小袖が成人女性用の留袖の形態であることから、政卿の妻だんのために描かれたと考えられています。光琳が冬木家に滞在したのは1704年から1705年頃が有力とされ、この時期に小袖が制作された可能性が高いとされています。

冬木家は明治維新頃に多くの所蔵品を手放したと伝えられ、「白綾地秋草模様小袖」も1877年に東京国立博物館の前身である上野の博物館によって購入されました。購入の詳しい経緯は不明です。

光琳筆との伝承と根拠

この小袖には、付属する桐箱に「秋草模様ふるきぬ光琳真筆」との墨書きがあります。また、谷文晁（たにぶんちょう）の弟子である喜多武清（きたぶせい）が小袖の模様を模写した図巻も残されており、図巻には「冬木家蔵光琳真蹟地白ぬめ天保九戊戌二月」との記載があります。これは喜多武清が1838年（天保9年）に冬木家で模写を行ったことを示しており、当時冬木家がこの小袖を所蔵していたこと、そして光琳の真筆と認識されていたことがわかります。しかし、小袖自体には光琳の銘や落款（らっかん）はありません。喜多武清の模写は制作後100年以上経過しており、付属の鑑定書にも鑑定時期の記載がないため、これらの資料だけでは光琳の真作である確証とはなりえません。

しかし、その作風から「白綾地秋草模様小袖」は尾形光琳の真筆であると広く支持されています。特に、1705年制作とされる「草花図鑑」やサントリー美術館所蔵の「秋草図屏風」との共通点が多く指摘されています。例えば、桔梗のにじむような彩色、萩や菊、ススキの組み合わせ方、墨の質感を生かした表現、そして葉脈への金泥の使用といった技法やデザインに強い類似性が見られます。これらの様式的な根拠から、本作が光琳の真筆であるという見解は信憑性が高いとされています。

美術史上の評価

「白綾地秋草模様小袖」は、多くの美術史家によって論じられています。西本周子（にしもとちかこ）は、秋草の奥行きある描写には俵屋宗達の影響を、ススキに見られる速く鋭い筆致には江戸での模写に励んだ雪舟らの水墨画の影響を見ています。そして、優美さと鋭さが同居するこの表現に、江戸滞在中に創作面で抱えていた光琳の葛藤や内面が表出していると評価しています。仲町啓子（なかまちけいこ）は、ススキの細く鋭い線や濃い墨色の葉が、洒落た秋草模様に凛とした格調を加えていると評しています。山根有三（やまねゆうぞう）は、他の作品と比較して、触れると切れそうなススキの葉や、染み入るような桔梗の彩色に、自然の本質を捉えた風情豊かな世界が描かれており、光琳の絵画的特徴が深化して現れた作品だと位置づけています。

一方で、水尾比呂志（みずおひろし）は、衣装のデザインとしては無理がないとしつつも、秋草という古来のモチーフを単純な自然描写に終始した結果、光琳の絵としては成功作とは言えず、衣装の模様としても力強さに欠けると批判的な見解も示しています。また、水尾氏は、この描絵小袖が、没落しつつあった生家雁金屋のような旧家の町衆の矜持や光琳自身の反俗性、あるいは武士階級に対する町人の意地を示すために制作された可能性も示唆しています。

呉服商の家に生まれた光琳は、小袖のデザインそのものにはあまり積極的に関わらなかったと考えられていますが、「白綾地秋草模様小袖」のような描絵小袖や蒔絵などの工芸作品も残しています。彼のデザインは後世の「光琳模様」として流行しましたが、その源流には本作のような自筆の描絵小袖が影響を与えたとも推測されています。特に、帯部分に模様を配さない実用性への配慮や、二次元の絵画表現に加え、着付けた際の立体的な状態を想定する空間把握能力は、呉服屋の息子として培われた技量であると指摘されています。

もう一つの「冬木小袖」と修復

「白綾地秋草模様小袖」には、MOA美術館にも同じ図柄の「白絖地秋草模様小袖（しろぬめじあきくさもようこそで）」が存在します。材質が綾織（あやおり）と絖地（ぬめじ）で異なるものの、図柄は酷似しています。これは光琳自身が同じ作品を複数制作したのではなく、光琳の作風を継承する目的で後の時代に複製されたものと考えられています。図巻の「白ぬめ」という記述から、MOA美術館所蔵のものは、東京国立博物館所蔵の「白綾地秋草模様小袖」を、その仕立て直しで左右の袖が入れ替わった状態のまま白絖地に写したものであると推測されており、これにより東京国立博物館所蔵品がオリジナルである可能性が高いと考えられています。

東京国立博物館に収蔵された後、「白綾地秋草模様小袖」は数回の修復を受けています。購入当時は裏地がありませんでしたが、展示のために裏地が付けられました。1965年には当時の最良の方法で一度修復が行われましたが、表裏を太い糸で縫い付ける方法が作品を傷める可能性が指摘されていました。そこで、将来的な保存・継承のため、2021年1月から本格的な修理が開始されました。修理ではまず作品の状態を詳細に調査し、過去の修復の痕跡も記録しながら慎重に解体が進められました。この過程で、裾の縫い代部分にも光琳による描絵が隠れていたことが発見されました。その後、染織品としての脆弱性や絵画作品としての重要性を考慮し、皺伸ばし、補強、裏打ち作業が行われました。仕立て直しでは、新たな損傷を防ぐため既存の針穴が再利用されました。裏地は表地との相性が悪く劣化を早める恐れがあったため、制作当時の文献資料を参考に、ベニバナで染めた薄手の平絹である紅絹（もみ）が新たに採用されました。約2年3ヶ月に及ぶ修理は2023年3月に完了し、現在は袖のみを畳んだ状態で保存できる特殊な箱に収められています。

現代における取り組み

「白綾地秋草模様小袖」の修理費用を募るため、東京国立博物館は2020年に「〈冬木小袖〉修理プロジェクト」を立ち上げました。目標額を超える寄付が集まり、プロジェクトは成功裏に終了しました。また、プロジェクトの一環として、クリプトン・フューチャー・メディアとのコラボレーションにより、バーチャルシンガー「初音ミク」が「白綾地秋草模様小袖」をアレンジした振袖を着用した「〈冬木小袖〉ミク」が制作されました。このデザインは森倉円氏が手掛け、初音ミクの年齢設定に合わせて振袖としてアレンジされています。キービジュアルは東京国立博物館の大階段を舞台に描かれ、コラボレーショングッズの収益の一部は修理費用に充当されました。さらに、より多くの人々に作品を知ってもらうため、ゲームソフト『あつまれどうぶつの森』内で作品をモデルにした「ふゆきなこそで」が「マイデザイン」として配布され、ゲーム内で着用して楽しむことができるようになっています。これらの多角的な取り組みを通じて、「白綾地秋草模様小袖」は現代においても広く注目を集め、その価値が再認識されています。

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