石泉学派

浄土真宗本願寺派には、その教学を伝える二つの主要な流れがあります。一つは現代において主流とされる空華学派、そしてもう一つが石泉学派（せきせんがくは）です。石泉学派は、江戸時代に僧侶である石泉僧叡（せきせんそうえい）が現在の広島県呉市長浜の地に開いた「石泉塾」に始まり、彼の教学思想を受け継ぐ学派として発展しました。本願寺派内では少数派ながら、空華学派とは一線を画す独自の思想を展開しています。

善知識への向き合い方と個人の主体性

石泉学派の教学における最も重要な特徴の一つは、宗祖親鸞聖人を含む「善知識」と呼ばれる教えの先達の言葉に対する独特の捉え方です。主流である空華学派が、七高僧や親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人などの言葉を浄土真宗の教えを正しく伝える唯一絶対の根拠として重視し、これへの服従や聖教の逐語的な尊重を説く傾向があるのに対し、石泉学派は、浄土真宗を親鸞聖人が新たに開いた宗派としてではなく、遥か久遠から存在する真理そのものが阿弥陀仏の第十八願として現れたものと捉えます。これは、時代や場所を超えた普遍的な教えであるという理解です。

このため、石泉学派では善知識の言葉をそのまま絶対視するのではなく、個々人が阿弥陀仏と直接向き合い、主体的にその教えを受け止めることを重視します。石泉僧叡は著書『教行信証随聞記』で、浄土真宗の教えの根幹には、不要なものを捨て、必要なものを選ぶ「廃立」（取捨選択）という原理があり、これは如来の発願そのものであると述べています。

この考え方から、親鸞聖人の言葉も、あくまで弥陀の本願という真理に触れた個人の「領解」（体験に基づく理解）の表現であり、尊重はされるべきですが、他のあらゆる言葉を凌駕する絶対視はされない、と考えられます。阿弥陀仏の本願に出遇った他の信心ある人々の言葉も同様に尊重されるべきとされ、聖教の言葉にとらわれない「妙好人」などもこの文脈で理解されます。

社会・権力との関わり

個人の主体性を重んじる石泉学派の思想は、社会や権力に対する姿勢にも明確に現れます。仏道を歩む者が世俗の権力者に礼拝しない「国王不礼」の態度は、空華学派よりも明確で強い傾向があります。石泉僧叡は「およそ出家して仏弟子である者は、俗人に礼拝することはない」と説きました。

これに対し空華学派では、松島善譲師のように、国王不礼の原則は認めつつも、現実的には「慢心すれば咎めを受ける」として権力に従順であるべきだと論じました。結果として、空華学派は宗派本山や世俗権力に対し相対的に従順な姿勢を取りやすいのに対し、石泉学派はより自立的・批判的な思考を重視します。

空華学派の従順な姿勢が、後に天皇を阿弥陀仏の化身とするような戦時教学につながったとの批判もあり、戦時中に戦時教学を批判した山下義信師、戦後に宗派のあり方や門主の戦争責任を追及して批判的な立場と見なされた信楽峻麿師、そして親鸞聖人の「変成男子」思想を批判的に継承した源淳子師など、石泉学派の系譜から体制批判の立場に立つ人々が多く現れています。

現世における行為の意義

石泉学派は、現世で行われる様々な行為、特に世俗的な善行の意義を積極的に認める点でも、空華学派と異なります。空華学派は、覚如上人の子である存覚上人の立場を受け継ぎ、念仏以外の行いを「雑毒の善」（煩悩が混じった不純な善）や「虚仮の行」（偽りの不完全な行い）として否定し、信心獲得後の現世に根源的な意味を見出しにくい側面がありました。そのため、外部からの道徳輸入（儒教など、戦時教学にもつながる）に頼る傾向が見られました。

これに対し石泉学派は、たとえ世間的には不完全な行い（雑毒の善や虚仮の行）であったとしても、一人ひとりがそれぞれの縁に応じて行う世俗的な行為も、阿弥陀仏の大悲をこの世に具体的に現していく「助業」（主たる行いを助ける行い）や「報恩業」（仏恩に報いる行い）となり得ると考えます。これらの行為が往生に必須ではないことは石泉学派も同様ですが、その行為自体に積極的な意義を見出す点が決定的に異なります。熱心な真宗門徒として知られる初代伊藤忠兵衛が、自らの商売を人々の役に立つ菩薩業と捉えた例も、石泉学派的な考え方と共通する側面があります。近年、空華学派も布教現場でこの考えを取り入れる例が見られますが、教学的な根拠はまだ確立していません。

その他の特徴

石泉学派は、浄土真宗以外の仏教宗派（聖道門）や、阿弥陀仏以外の諸仏に対しても比較的寛容な態度を示すことなども特徴です。また、信心の捉え方において、空華学派が本願をそのまま聞くことを重視するのに対し、石泉学派は、生きる上での様々な恐怖や死ぬことへの不安など、全てを阿弥陀仏の大悲の中に委ね、その中で心がだんだんと清らかになっていくプロセスも信心の一側面として捉えます。

まとめ

石泉学派は、江戸時代の石泉僧叡の思想を基盤に、個人の主体性に基づく阿弥陀仏との関わり、世俗権力からの自立、現世における行為の積極的な意義づけなどを特徴とする、本願寺派内における独自の教学潮流です。少数派ながらも、その思想は本願寺派内の多様な議論に影響を与え続けています。

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