礒山雅

礒山 雅

礒山 雅（いそやま ただし、1946年4月30日 - 2018年2月22日）は、日本の音楽学界において、特にヨハン・セバスチャン・バッハやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの研究で傑出した業績を残した人物です。国立音楽大学の教授として長年にわたり教鞭を執り、また大阪音楽大学の客員教授も務めました。教育者としてだけでなく、学術研究者、文化振興家、そして一般に向けた音楽の伝道師としても多岐にわたる活動を展開しました。

経歴と学術活動

東京都に生まれ、長野県で育った礒山氏は、長野県松本深志高校を経て東京大学文学部美学科を卒業し、同大学院美学藝術学博士課程を単位取得満期退学しました。この間、1982年から1984年にかけてはドイツのミュンヘン大学に留学し、さらなる研鑽を積んでいます。

大学院修了後、1977年に国立音楽大学の助教授に就任し、後に教授へと昇進しました。同大学では、教育・研究の要職として図書館長や音楽研究所所長なども歴任し、学術基盤の充実に貢献しました。また、1990年の開館以来、いずみホールの音楽ディレクターとして、そのユニークな企画運営に深く関わり、関西圏の音楽文化振興にも大きな役割を果たしました。

学術団体においては、2006年から2012年まで日本音楽学会の会長を務め、日本の音楽学研究を主導しました。さらに2015年には藝術学関連学会連合の会長に就任するなど、幅広い分野でのリーダーシップを発揮しました。サントリー芸術財団の理事や日本芸術文化振興会の評議員といった公的な役職も歴任し、文化政策や芸術支援の分野にもその影響力を広げました。

研究業績と受賞

礒山氏の学術的な功績は、特にバッハとモーツァルトの研究において顕著です。バッハの教会音楽、とりわけ受難曲に関する深い洞察は高く評価され、1988年にはその研究に対して辻荘一賞が授与されました。また、1994年に上梓した『マタイ受難曲』に関する著作は、その詳細な分析と独自の解釈が高く評価され、京都音楽賞の研究部門賞を受賞しました。

氏は精力的に研究成果を発表し、多数の著作を世に送り出しました。初期の代表作としては、『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』、『モーツァルトあるいは翼を得た時間』、『バロック音楽 豊かなる生のドラマ』などがあります。これらの著作は、専門的な知識を平易かつ詩的な言葉で語りかけ、多くの音楽愛好家に感銘を与えました。その後も、『マタイ受難曲』、『モーツァルト　二つの顔』といった作品や、ライフワークの一つとも言える『バッハ・カンタータの森を歩む』シリーズなど、バッハとモーツァルトを中心に、バロック音楽や古典派音楽に関する重要な研究書や啓蒙書を多数刊行しました。また、『バッハ事典』や『バッハ全集』といった大型企画にも共同で取り組み、日本のバッハ研究の基盤整備に貢献しました。さらに、海外の重要な音楽学研究書の翻訳も多数手がけ、国内外の研究成果の交流を促進しました。

研究活動と並行して、氏はNHK-FMの長寿番組「古楽の楽しみ」をはじめとするラジオ番組のパーソナリティを長年務め、その温厚な語り口と深い知識で、バロック音楽や古楽の魅力を広く一般リスナーに伝え続けました。これらの活動は、専門家としての知見を社会に還元する重要な役割を果たしました。

晩年と突然の死

晩年まで礒山氏は研究活動に情熱を傾けました。特に長年のテーマであったバッハの《ヨハネ受難曲》に関する博士論文を2017年10月に完成させ、2018年1月26日にはその口述試験を無事終えたばかりでした。さらに、『マタイ受難曲』の改訂版出版に向けた準備作業にも取り掛かっており、まさに精力的に活動していた矢先の出来事でした。

2018年1月27日夜、埼玉県での声楽アンサンブルコンテストの審査を終えた後、不幸にも雪で足を滑らせて転倒し、頭部を強打。緊急入院となりました。懸命な治療が続けられましたが、外傷性頭蓋内損傷のため、同年2月22日、満71歳で帰らぬ人となりました。音楽学界にとって、あまりにも突然の、大きな損失でした。

死去直前に口述試験を終えていた博士論文は、国際基督教大学の審査に合格し、遺族が代理で博士号（Doctor of Philosophy）を授与されました。また、遺著となった博士論文を元にした書籍『ヨハネ受難曲』は、2020年に筑摩書房から刊行され、その最晩年の研究成果が世に残されることとなりました。

礒山雅氏の生涯は、一人の音楽学者がいかに深く音楽を探求し、その成果を教育、研究、そして社会全体に還元していったかを示すものでした。その功績は日本の音楽学史に深く刻まれています。

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