神よ、皇帝フランツを守り給え

『神よ、皇帝フランツを守り給え』（ドイツ語: Gott erhalte Franz den Kaiser）は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンによって作曲された、かつての神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、そしてオーストリア＝ハンガリー帝国の国歌です。この楽曲は、後に数多くの讃美歌やクラシック音楽に用いられ、さらにはドイツの国歌『ドイツの歌』としても転用されるなど、その美しい旋律は広く知られています。

作曲の背景

作曲に至る経緯については、主に二つの説が存在します。しかし、いずれの説もイングランドの国歌『神よ国王を護り賜え』から強い影響を受けて成立したという点で共通しています。

第1の説：ゾーラウ伯爵主導説

この説は、フランツ・ヨーゼフ・フォン・ゾーラウ伯爵が作曲全体を主導したというものです。ゾーラウ伯爵が1820年2月28日付で書き記した書状が根拠となっています。

1796年、フランス革命戦争の最中、神聖ローマ帝国（オーストリア）はナポレオン軍の脅威にさらされ、政治的に不安定な状況にありました。そのため、皇帝のもとに国民が団結することが強く求められていましたが、当時の皇帝フランツ2世は優柔不断で悲観的な性格であり、国民からの支持は必ずしも高くありませんでした。

そこで、ニーダーエスターライヒ州政府長官であったフランツ・ヨーゼフ・フォン・ゾーラウ伯爵は、国民の団結を促すために、詩人のローレンツ・レオポルト・ハシュカにイングランドの国歌を手本として、翌年の皇帝の誕生日に演奏する歌詞の作成を依頼しました。ハシュカは1796年10月11日に歌詞を完成させ、ゾーラウ伯爵に送りました。作曲を依頼されたハイドンも、1791年から92年、そして1794年から95年にかけてロンドンを訪れた際に『神よ国王を護り賜え』を耳にしており、その影響を強く受けて作曲に取り組んだとされています。

第2の説：スウィーテン男爵経由説

この説は、ウィーンの宮廷図書館に勤務していたアントン・フランツ・シュミットの記録に基づいています。

ハイドンが『神よ国王を護り賜え』を聴いた際、ウィーンの音楽愛好家であったゴットフリート・ヴァン・スウィーテン男爵に、オーストリアにも同様の国歌があればと語ったとされます。スウィーテン男爵がこのことをゾーラウ伯爵に伝え、ゾーラウ伯爵がハシュカに作詞を依頼したという流れです。

作曲

ハイドン自身がオーケストラ譜に「Volck's Lied」（国民の歌、または民謡）という注記を書き込んでいます。このことから、作曲の際にハイドンが参考にした可能性のある民謡として、クロアチア民謡「悲しき花嫁（Zalostna zarucnice）」が指摘されています。この民謡は、冒頭部分の音符とリズムの輪郭が完全に一致します。音楽学者のH.C.ロビンス・ランドンは、ハイドンが長年仕えていたエステルハージ家の居城周辺でこの民謡が歌われていたと指摘しています。また、カトリックの『ローマ・ミサ典礼書』に含まれる《天にましますわれらの父よ》とも、冒頭の旋律に類似性が見られます。

初演

1797年1月28日にゾーラウ伯爵がハイドンの浄書譜の出版を許可したことから、それまでには作曲が完了していたと考えられます。印刷は急ピッチで進められ、1月30日には初版が完成したとされています。そして、フランツ2世の29歳の誕生日である1797年2月12日、ウィーンのブルク劇場において、皇帝臨席のもとオーケストラ伴奏によって初演されました。初演後まもなく、ハイドンと交流のあったチャールズ・バーニーが歌詞を英訳し、イングランドで紹介したところ、好評を博しました。

歌詞の変遷

初演以降、歌詞は何度か変更されています。「皇帝賛美」というコンセプトは変わらないものの、フランツ2世の時代だけでも2度変更され、皇帝の代替わりの際に歌詞が変更されることがありました。以下に主な歌詞の変遷を示します。

初稿（神聖ローマ帝国版）
改訂版（オーストリア帝国版）
1835 - 1848年版（フェルディナント1世治世）：ヨーゼフ・クリスティアン・フォン・ゼドリッツ作詞
1854 - 1918年版（フランツ・ヨーゼフ1世・カール1世治世）：ヨハン・ガブリエル・ザイドル作詞

1848年革命の影響でフェルディナント1世が退位した後、再び「フランツ」の名を持つフランツ・ヨーゼフ1世が即位したため、「神よ、皇帝フランツを守り給え」から始まる歌詞が再び用いられるようになりました。1854年には、ヨハン・ガブリエル・ザイドルによる新たな歌詞が採用されました。この歌詞は、皇帝の個人名を含まない一般的な内容となりましたが、後にフランツ・ヨーゼフ1世がエリーザベトを皇后に迎えた際や、ルドルフ皇太子の誕生後には、個人名を含む歌詞が追加されました。

第一次世界大戦中にカール1世が皇位を継承した際、歌詞の改訂が検討されましたが、その前にハプスブルク帝国が崩壊したため、フランツ・ヨーゼフ1世時代の歌詞が最後まで用いられました。1989年4月1日に執り行われた最後の皇后ツィタ・フォン・ブルボン＝パルマの葬儀や、2011年7月16日に執り行われた最後の皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの葬儀でも、この1854年版の第1番が歌われています。

共和制移行後

最後の皇帝カール1世が亡命先で崩御した後、その遺児である元皇太子オットーを「オーストリア皇帝」と仰ぐ王党派によって、ハイドンの旋律に新たな歌詞が付けられました。

オーストリア＝ハンガリー帝国崩壊後に成立した第一共和国は、帝政時代の国歌を受け継がず、カール・レンナー作詞、ヴィルヘルム・キーンツル作曲の『輝かしき国、ドイツ・オーストリア』を国歌としました。しかし、この曲は国民に受け入れられず、1930年にはハイドンの皇帝讃歌の旋律にオットカール・ケルンシュトックの詩を乗せたものが国歌として採用されました。第二次世界大戦後、これまでの国歌の使用が禁止され、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲とされる旋律を用いた『山岳の国、大河の国』が制定されましたが、再びハイドンの曲を国歌に戻す動きもありました。

編曲など

ハイドンの旋律は、様々な形で編曲され、多くの人々に親しまれています。

ハイドン自身の弦楽四重奏曲第77番「皇帝」
ジョン・ニュートンの歌詞による讃美歌『栄えに満ちたる』
ヨハン・シュトラウス2世の『皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲』、ワルツ『ミルテの花冠』、行進曲『ハプスブルク万歳!』
カール・ミヒャエル・ツィーラーのワルツ『皇后』
カール・ミュールベルガーの軍楽『皇帝猟兵行進曲』
スメタナの『祝典交響曲』
バルトークの交響詩『コシュート』
ヴィエニャフスキのヴァイオリン練習曲集「新しい手法」
* シルヴィオ・ラニエーリのマンドリン独奏曲『ハイドンの主題による変奏曲』

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