美しいメルジーネの物語

美しいメルジーネの物語 作品32

『美しいメルジーネの物語』作品32（ドイツ語原題: Das Märchen von der schönen Melusine, Op. 32）は、ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーン（Felix Mendelssohn, 1809-1847）が1833年に筆を執った演奏会用序曲です。オペラの幕開けを飾る序曲としてではなく、独立した管弦楽曲として作曲される演奏会用序曲は、19世紀のロマン派音楽において重要なジャンルの一つとなりました。本作もまた、単独での演奏を意図して書かれた作品であり、メンデルスゾーンの抒情性と精緻な構成力が見事に融合した例として知られています。

この序曲のインスピレーション源となったのは、古くからヨーロッパに伝わる海の精、あるいは水の妖精「メルジーネ」にまつわる伝説です。特に、オーストリアの劇作家フランツ・グリルパルツァー（Franz Grillparzer, 1791-1872）が台本を手がけ、作曲家コンラディン・クロイツァー（Conradin Kreutzer, 1780-1849）が音楽をつけたオペラ作品にメンデルスゾーンは触発されました。このオペラは、半人半魚の姿を持つ呪われた妖精メルジーネと人間の騎士との悲恋を描いたもので、その幻想的かつ悲劇的な物語がメンデルスゾーンの創作意欲を刺激したのです。彼はこのオペラを聴いた後、自身の音楽によってこの物語の世界観を表現することを試みました。

作曲は1833年に行われました。この時期は、メンデルスゾーンがヨーロッパ各地を旅し、多様な文化に触れる中で、彼の音楽語法が円熟期へと向かっていた頃にあたります。彼はこの序曲において、伝説の神秘的な雰囲気や、主人公メルジーネの悲哀、そして水の妖精にふさわしい流麗な音楽的描写を追求しました。彼特有の流れるような旋律と、透明感のあるオーケストレーションが、この幻想的な題材を見事に音楽へと昇華させています。

作品の初演は作曲の翌年、1834年に行われました。舞台となったのはイギリスの首都ロンドンです。当時のロンドンはヨーロッパの音楽文化の中心地の一つであり、多くの作曲家や演奏家が集まる場所でした。初演は、名門オーケストラであるフィルハーモニック協会（Philharmonic Society, 現在のロイヤル・フィルハーモニー協会）が主催するコンサートで行われました。指揮台に立ったのは、ピアニスト、作曲家としても著名なイグナーツ・モシェレス（Ignaz Moscheles, 1794-1870）です。モシェレスはメンデルスゾーンとも親交が深く、彼の作品の擁護者でもありました。彼の指揮のもと、この新しい序曲は聴衆に披露されました。

この作品のためにメンデルスゾーンが編成したオーケストラは、当時の標準的な2管編成を基本としています。使用される楽器は以下の通りです。

フルート：2
オーボエ：2
クラリネット：2
ファゴット：2
ホルン：2
トランペット：2
ティンパニ
弦楽合奏（ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス）

これらの楽器が組み合わされることで、色彩豊かで表現力に富んだ音楽が生み出されます。木管楽器は伝説の幻想的な雰囲気を、弦楽器は水の流れや感情の機微を、金管楽器やティンパニはドラマティックな瞬間をそれぞれ描き出す役割を担います。

『美しいメルジーネの物語』序曲は、メンデルスゾーンのロマンティックな側面をよく示す作品として、現在でも演奏機会の多い作品の一つです。幻想的な題材への興味、文学作品からのインスピレーション、そしてそれを音楽として具現化する卓越した技術が、この魅力的な序曲には凝縮されています。

参考文献

井上和男 著, 『クラシック音楽作品名辞典』, 三省堂

外部リンク

国際楽譜ライブラリープロジェクト（IMSLP）にて、序曲「美しいメルジーネの物語」の楽譜がPDF形式で無料で入手可能です。

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