聖パウロの回心 (カラヴァッジョ、チェラージ礼拝堂)

聖パウロの回心：カラヴァッジョによる革新的な解釈

『聖パウロの回心』は、17世紀イタリア・バロック期の巨匠、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョが1601年に制作した油彩画です。この作品は、ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂にあるチェラージ礼拝堂のために描かれました。カラヴァッジョは同じテーマで2つのバージョンを制作しており、現在礼拝堂にあるのは2番目のバージョンです。

委嘱の背景

この作品の制作を依頼したのは、ローマ教皇庁の財務長官であったティベリオ・チェラージでした。彼は自身の墓所としてサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂の礼拝堂の権利を取得し、改築と装飾を当時最も優れた美術家たちに依頼しました。その結果、中央の祭壇画をアンニーバレ・カラッチが、そして左右の側壁画をカラヴァッジョが担当することになりました。当初、側壁画もカラッチに依頼される予定でしたが、彼の都合によりカラヴァッジョに依頼が回ってきたという経緯があります。この委嘱は、当時のローマにおける2人の才能ある画家、カラッチとカラヴァッジョの競合の場となり、人々の関心を集めました。

カラヴァッジョとチェラージの契約では、糸杉の板に「聖パウロの回心」と「聖ペテロの磔刑」を描くことが定められていました。しかし、実際に礼拝堂に設置されたのは、キャンバスに描かれた作品です。この変更の理由については、注文主が最初の作品を気に入らなかったため、枢機卿が引き取り、カラヴァッジョが新たに描き直したという説が有力です。しかし、最近の研究では、最初の作品がしばらく礼拝堂に設置されていた可能性も指摘されています。いずれにせよ、この作品はカラヴァッジョの試行錯誤と、芸術への情熱を物語るものと言えるでしょう。

主題：聖パウロの回心

主題である「聖パウロの回心」は、キリスト教の聖書「使徒行伝」に記されたエピソードです。キリスト教徒を迫害していたパウロ（当時はサウロ）が、ダマスカスに向かう途中で天からの光を受けて落馬し、「なぜ私を迫害するのか」という声を聞きます。その光によって目が見えなくなったパウロは、その後、神の啓示を受け、キリスト教に改宗し、使徒として福音を広めることになります。この劇的な回心は、対抗宗教改革の時代に好んで描かれたテーマであり、パウロは回心と召命を同時に経験した人物として、特別な意味を持っています。

従来の図像では、落馬するパウロと天に現れるキリスト、そして驚き慌てる人々が描かれるのが一般的でした。ミケランジェロのフレスコ画や、アンニーバレ・カラッチの素描にも同様の表現が見られます。しかし、カラヴァッジョはこれらの伝統的な表現を大きく変え、独自の解釈を加えました。

作品の特徴：カラヴァッジョの革新性

カラヴァッジョは、最初のバージョンでミケランジェロやラファエロの影響を受け、伝統的な図像を踏襲した表現を試みました。しかし、現在の礼拝堂に展示されている2番目のバージョンでは、それらの要素を大胆に省略し、全く異なる作品に仕上げました。

まず、神や天使、周囲の人々を排除し、画面には馬と馬丁、そして落馬したパウロのみが描かれています。特に馬は、画面の大部分を占め、鑑賞者に大きな尻を向ける構図は、アルブレヒト・デューラーの銅版画に影響を受けたと言われています。また、パウロのポーズも変更され、従来の目を覆うポーズではなく、天に向かって両手を差し伸べるポーズに変更されています。この変更は、礼拝堂に差し込む実際の光を意識した結果であるとも考えられています。

カラヴァッジョは、光を重要な要素として扱っています。従来の表現では天から光が差し込む様子を描いていましたが、本作では、光はあくまでも暗示的に示されています。パウロの足元が明るくなっていること、そして画面右上の数条の光によって、光の存在が示唆される程度です。また、パウロの目を閉じた姿は、ミケランジェロやタッデオ・ツッカリの作品から学んだとされています。

このように、カラヴァッジョは、伝統的な図像を大胆に変え、独自の解釈を加えました。彼は、物語を現実の延長として表現することを追求し、奇跡を示すものを排除しました。そして、パウロの内面のドラマに焦点を当て、宗教画に新たな可能性を提示したのです。

作品の評価

この作品について、美術理論家のジョヴァンニ・ピエトロ・ベッロ―リは「まったく動きのない物語」と評しました。しかし、美術史家のヴァルター・フリードレンダーやアドルフォ・ベントゥーリは、この作品を「真実の探求」であると捉え、大仰な物語をパウロの内面のドラマへと変えた近代的な宗教性の表現と見なしました。カラヴァッジョは、超自然的な光や神の顕現ではなく、パウロの脳内で起こった出来事として奇跡を描くことで、近代的な解釈を示唆したと言えるでしょう。

まとめ

『聖パウロの回心』は、カラヴァッジョの革新的な表現が際立つ作品です。彼は、伝統的な図像に囚われず、大胆な構図と光の表現によって、聖書の物語を新たな視点から描き出しました。この作品は、カラヴァッジョの芸術的才能を示すだけでなく、宗教画の新たな可能性を切り開いた傑作として、今日でも多くの人々を魅了し続けています。

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