菅野八郎

菅野 八郎（かんの はちろう）は、江戸時代後期の文化7年（1810年）に岩代国梁川代官所管内の金原田村（現在の福島県伊達市）で生まれ、明治21年（1888年）に生涯を閉じた人物です。本名は菅野八郎ですが、活動の拠点とした金原田村にちなんで「金原田 八老（きんばらだ はちろう）」あるいは単に「八老」とも称されました。彼は一介の百姓でありながら、当時の社会情勢に対する深い洞察と独自の思想を持ち、民衆思想家として、また激動の幕末期における民衆運動の一端を担う存在として知られています。

八郎の人生は、日本が大きな変革期を迎える幕末と重なります。嘉永6年（1853年）のペリー艦隊来航後、日本国内では海防意識が高まります。この頃、八郎は霊夢を通じて受けたとされる神託に基づき、独自の海防策を考案。これを幕府に伝えるべく、地元の代官所に添え状を求めますが、認められませんでした。やむなく嘉永7年（1854年）に自ら江戸へ向かい、幕府へ直訴（箱訴）を試みます。江戸への道中、神奈川で実際に米国船を目撃し、外圧の現実を肌で感じたといわれています。この時期、彼は自身の思想や活動のためか、妻のりつと長男との離縁を決意しています。

安政2年（1855年）、八郎は後の妻ヤノの妹の夫にあたる太宰清右衛門に宛てて、その思想をまとめた「秘書後之鑑」を送っています。この中で彼は攘夷思想を掲げ、これを推進する水戸藩の動きを支持しました。太宰清右衛門は、保原（現在の伊達市）の豪商であった淀屋の江戸支配人を務めており、八郎はこうした人脈を通じて自身の考えを広めようとしたのかもしれません。

しかし、その思想が時の権力と衝突します。安政5年（1858年）、幕府による徹底的な弾圧である安政の大獄が始まります。太宰清右衛門が捕縛の危機に瀕した際に「秘書後之鑑」が幕府方の手に渡り、八郎もまた安政の大獄に連座して捕縛されました。彼は伝馬町牢屋敷に収監され、厳しい取り調べを受けます。この時、同じ牢屋に収監されていた思想家・吉田松陰が、久坂玄瑞らに宛てた書簡の中で八郎について言及しており、当時の思想家たちの間でもその存在が認識されていたことがわかります。

安政6年（1859年）、八郎は八丈島への遠島を申し渡され、翌安政7年（1860年）に島に到着しました。島では同じく遠島となっていた近藤富蔵と交流を持ち、彼によれば、八郎が八丈島に初めて養蚕法を伝えたとされています。また、島で梅辻規清を訪ね、「真天暦」という書物を授けられたとの記録もあります。島での生活の中でも、八郎は自身の知識や思想を深め、文久3年（1863年）には養蚕に関する著作「蚕飼八老伝」を執筆しました。

元治元年（1864年）に赦免され、故郷に戻った八郎は、武術鍛錬を目的とした農民組織「誠心講」を結成し、地域における農民たちの自立的な活動を促しました。しかし、慶応2年（1866年）に発生した信達農民騒擾では、その背後で八郎が糸を引いているという噂が流れ、江戸や上方では「世直し八郎大明神」として瓦版が出回るほどの影響力を持ったと見なされました。八郎自身は関与を否定し、梁川代官所に無実を訴える訴状を提出しましたが、出頭した際にそのまま代官所の牢獄に収監されてしまいます。

収監中の慶応4年（1868年）、戊辰戦争の進行に伴い、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍が福島に進駐したことで情勢が変化。これにより八郎に対する詮議は打ち切られ、再び牢獄から放たれました。その後も明治7年（1874年）に何らかの事件で一年間収監されるなど、波乱の人生が続きます。晩年の明治15年（1882年）には、自身の思想や得た知識をまとめた著作「真造辨八老信演」を執筆しました。そして、明治21年（1888年）1月2日にその生涯を終えました。

菅野八郎の思想や行動は、当時の民衆がどのように時代を捉え、社会変革を志向したのかを知る上で貴重な資料となります。彼に関する著作や記録は現在も多数残されており、その生涯は日本の近世から近代への移行期における民衆の動向を研究する上で重要な研究対象となっています。

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