蛮絵装束

蛮絵装束（ばんえしょうぞく）

蛮絵装束は、日本の伝統芸能である雅楽において、特定の舞楽を演じる際に着用される格式高い装束の一つです。その名称は、装束の核となる袍（ほう）に「蛮絵」と呼ばれる特有の文様が描かれていることに由来します。

起源と歴史

蛮絵装束の起源については、古文書である「続教訓抄」や「體源抄」にその手がかりが見られます。これらの記述によれば、当初は奈良の興福寺で行われていた常楽会（じょうらくえ）という法会において、喪服として着用されていたとされています。やがて時代が下るにつれて、この装束は雅楽の舞楽装束として定着していくことになります。

歴史的に見ると、かつては朝廷の警護にあたる衛府（えふ）の官人たちが、楽人や舞人を兼任していることがありました。彼らの制服として用いられていた「蛮絵袍（ばんえのほう）」が、舞楽の場へと持ち込まれ、やがて蛮絵装束が誕生したと考えられています。これは、公的な性格を持つ衛府の儀礼服が、雅楽という公的な芸能の場で特別な装束へと発展した経緯を示しています。

装束の特徴：色と蛮絵

蛮絵装束は、着用する舞楽の種類、特に左舞（さまい）と右舞（うまい）によって、装束の色が区分されています。

右舞の装束色: 萌黄（もえぎ）、縹色（はなだいろ）、黄色を基調とします。
左舞の装束色: 紫を基調とします。

この装束の最大の特徴である「蛮絵」は、蛮絵袍に描かれた動物の文様を指します。最もよく知られているのは、一対の向かい合った獅子の文様です。しかし、平安時代の貴族・藤原宗忠の日記である「中右記（ちゅうゆうき）」によれば、この蛮絵に描かれる動物は、着用者が属する衛府によって異なっていたと記されています。例えば、近衛府（このえふ）の官人は獅子の文様、兵衛府（ひょうえふ）は鴛（おしどり）、衛門府（えもんふ）は熊など、それぞれの衛府に定められた動物が描かれていたと伝えられています。このことから、蛮絵装束は単なる舞楽装束としてだけでなく、かつての衛府における身分や所属を示す要素も兼ね備えていたことが伺えます。

着用される舞楽

蛮絵装束を着用して舞われる曲目は特定されており、左右の舞によって異なります。

左舞で着用する曲目: 五常楽（ごじょうらく）、春庭花（しゅんていか）、喜春楽（きしゅんらく）、桃李花（とうりか）、央宮楽（おうぐうらく）、一鼓（いっこ）など。
右舞で着用する曲目: 白浜（しらはま）、登天楽（とうてんらく）、敷手（しきて）、長保楽（ちょうほうらく）など。

これらの曲目は、その内容や形式において、蛮絵装束の風格や歴史的背景と関連付けられていると考えられます。

装束の構成要素

蛮絵装束は、複数の要素から構成される複雑な衣装です。主な構成要素は以下の通りです。

巻纓冠（けんえいのかん）
老懸（おいかけ）
蛮絵袍（ばんえのほう）：蛮絵が描かれた上着。
下襲（したがさね）：蛮絵袍の下に着用する。
表袴（うえのはかま）：正式な袴。
大口袴（おおくちばかま）：表袴の下に着用する。
石帯（せきたい）：腰に締める帯。
糸草鞋（いとわらじ）：足元に履く。
笏（しゃく）：手に持つ。

これらの各要素が組み合わさることで、蛮絵装束の威厳ある姿が完成します。

まとめ

蛮絵装束は、古代の喪服に始まり、衛府の制服を経て雅楽の舞楽装束として確立された、歴史と文化が凝縮された衣装です。その独特な蛮絵文様や、左右舞で異なる色彩、そして着用が定められた特定の曲目といった特徴は、雅楽の奥深い世界を知る上で重要な要素と言えます。

参考文献

鳥居本幸代 著「雅楽 時空を越えた遥かな調べ」（春秋社）
* 「雅楽入門事典」（柏書房）

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