西尾正

西尾 正（にしお ただし）は、明治から昭和にかけて活動した日本の探偵小説家です。1907年（明治40年）12月12日、東京府東京市本郷区に生を受けました。実家は、現在も広く知られる日用雑貨「亀の子束子」の製造販売を手掛ける西尾商店を営む一族でした。

慶應義塾大学経済学部で学び、卒業後の1934年（昭和9年）、当時の主要な文芸雑誌の一つであった『ぷろふいる』の6月号に掲載された短編「陳情書」で作家としての第一歩を踏み出します。しかし、このデビュー作は発表後まもなく発禁処分を受けるという波乱の幕開けとなりました。

その後も、西尾は『ぷろふいる』や、探偵小説の重要誌であった『新青年』などの雑誌を主な舞台として、継続的に創作活動を展開しました。その作品はすべて短編であり、特に怪奇小説の要素を強く帯びているのが特徴です。代表作としては、「骸骨」「海蛇」「青い鴉」などが挙げられます。第二次世界大戦中は執筆活動を休止していましたが、戦後には再び創作の筆を執っています。

西尾の作風は、当時のアメリカで流行していたパルプ・マガジンに掲載された異色作からも影響を受けていることが知られています。特筆すべきは、1947年（昭和22年）に雑誌『真珠』の11・12月合併号に発表された短編「墓場」です。この作品は、著名な怪奇小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの「ランドルフ・カーターの陳述」に着想を得て執筆されたものでした。これは、形態としては翻案に近いものでしたが、日本国内にラヴクラフトの作品が紹介された最初の例とされており、その後の日本の怪奇文学や幻想文学に大きな影響を与えることになります。

評論家の東雅夫は、「墓場」と西尾、そしてラヴクラフトの関係性について、次のように評しています。「怪奇への狂熱ぶりにおいて相似た資質を有し、かたや『ウィアード・テイルズ』かたや『新青年』という怪奇小説のメッカとなった雑誌を舞台に、太平洋の此岸と彼岸でほぼ同時代に活躍した両作家の軌跡が、この翻案作品において交錯する次第は、なにやらん運命的なものをすら感じさせます」。これは、西尾作品に見られる怪奇性への情熱や、彼が活動した日本の探偵小説・怪奇小説界が、海を隔てたラヴクラフトたちの活動と呼応していた側面を指摘したものです。

ラヴクラフト作品以外にも、海外作家への着想を得た作品があります。例えば、A・W・カプファーの「幻想の薬」(The Phantom Drug)を下敷きにした「幻想の魔薬」や、W・F・ハーヴィーの「炎天」(August Heat)を元にした「八月の狂気」など、異国情緒や超常的な出来事を描いた作品も手掛けています。

精力的に短編作品を発表し続けた西尾正ですが、1949年（昭和24年）3月10日、病のため惜しくも41歳の若さでこの世を去りました。結核により、当時の文士たちが多く集まった鎌倉で亡くなっています。

没後、その特異な作風と功績は再評価され、2007年には論創社より『西尾正探偵小説選』として事実上の全集が刊行されました。鮎川哲也、山下武、谷口基といった後の世代の作家や研究者たちによっても言及されており、日本の探偵小説史、特に変格派や怪奇小説の流れを語る上で、その名は欠かせない存在となっています。

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