諏訪根自子

昭和という激動の時代に、「美貌の天才少女」として一世を風靡したヴァイオリニスト、諏訪根自子（すわ ねじこ、1920-2012）。その可憐な容姿と類稀な音楽的才能は、多くの人々を魅了し、国民的な人気を獲得しました。結婚後は本名である大賀根自子（おおが ねじこ）としても知られています。

彼女は東京府に生まれました。父・順次郎は山形県の裕福な豪商の家に生まれ、母・滝は声楽家を志した経験を持つ人物でした。順次郎が購入したクラシック音楽のレコードを聴き、幼い根自子が正確な音程で歌う姿を見た母は、その音楽的才能を見抜きます。根自子が3歳になる頃、一家は父の事業の失敗により困窮しますが、母は娘にヴァイオリンを学ばせることを決意。1923年、満3歳でロシア出身のヴァイオリニスト、小野アンナの門下に入り、後にアンナ本人に直接師事することになります。白系ロシア人のアレクサンドル・モギレフスキーからも指導を受けました。早くからその才能は認められ、一条公爵家の園遊会や小野アンナ門下生の発表会などで演奏し、次第に注目を集めます。1930年秋、来日した世界的ヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリストの前でメンデルスゾーンの協奏曲を演奏し、彼を驚嘆させたことは伝説となっています。翌年には『朝日新聞』で「天才少女」として紹介され、1932年に日本青年館で行われた初リサイタルは大成功を収め、「神童」と称されるようになりました。

しかし、順風満帆に見えた少女期に試練が訪れます。1933年、両親の不和（原因は父の浮気とされていますが、新聞は父の暴力と報じました）から、母が根自子を連れて家出するという事件が発生します。この出来事は大きな波紋を呼び、有島生馬の弟である里見弴がこれをモデルにした長編小説『荊棘の冠』を発表するほどでした。別居の際には、鈴木鎮一らが相談相手として関わったと伝えられています。このような家庭の事情を抱えながらも、13歳から15歳にかけて、コロムビアよりSPレコードを多数録音しており、その才能は変わらず輝きを放っていました。

国際的な舞台へ躍り出るきっかけは、駐日ベルギー大使アルベール・ド・バッソンピエールに才能を認められたことでした。外務省の後援を得て、1936年にベルギーへ留学。さらに1938年にはパリへ移り、カメンスキーに師事します。翌1939年に第二次世界大戦が勃発しますが、根自子は危険を冒してパリに留まります。1942年、ドイツ軍によるパリ占領の不安が高まる中、カメンスキーの要請を受けた在仏日本大使館の支援により、根自子は保護されます。この時、保護に関わった大使館員の一人が、後に夫となる大賀小四郎でした。ドイツでは、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演という、日本人としては極めて異例の機会を得ます。この演奏会は大成功を収め、高い評価を得ました。この時期、ナチスドイツの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスからヴァイオリンを贈られています。これはストラディヴァリウスとされていますが、その真贋や由来については現在も不明確な部分が多く、議論の対象となっています。本人は生前のインタビューで、盗品ではなく正規に購入されたものだと説明していました。ドイツ降伏後、一時アメリカ軍に拘束されますが、1945年12月6日、大使館員らと共に米国経由で帰国を果たしました。

帰国後、根自子は再び日本国内での演奏活動を再開します。NHKラジオ第2放送の「放送音楽会」ではブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏するなど、精力的に活動しました。井口基成や安川加寿子といった著名なピアニストとの共演も行っています。しかし、1960年代に入ると演奏活動の第一線から身を引き、その後の消息がほとんど聞かれなくなったため、「伝説のヴァイオリニスト」と呼ばれるようになります。長い沈黙の後、1978年から1980年にかけてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲を録音し、キングレコードよりリリースされました。さらに1990年代には、限られた機会ではありましたが私的なサロンコンサートで演奏を再開。1994年に録音された一部がCD化されると、往年と変わらぬ気品と迫力のある演奏が話題を呼び、多くのファンを喜ばせました。

晩年は甥夫妻の介護を受けながら穏やかに過ごし、2012年3月6日に92歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。ヴァイオリニストとしての卓越した技術と音楽性はもちろんのこと、「美貌の天才少女」として時代を駆け抜け、戦争という困難な時代にも国際的な舞台で活躍した彼女の存在は、単なる音楽家の枠を超え、昭和史の一章を飾る人物として、今なお多くの人々の記憶に深く刻まれています。その劇的な生涯は、書籍やテレビドラマの題材としても描かれ、後世に語り継がれています。

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