諸国瀧廻り

葛飾北斎『諸国瀧廻り』：全国の滝を描く名作錦絵

天保4年（1833年）頃、江戸の版元西村屋与八より刊行された葛飾北斎の錦絵『諸国瀧廻り』は、全国各地の滝を表現した全8図からなる揃物です。北斎の豊かな想像力と卓越した描写力、そして当時の高度な木版印刷技術が融合した、日本の浮世絵史における重要な作品と言えるでしょう。

作品の特徴

『諸国瀧廻り』は、単に有名な滝だけを描いた作品ではありません。各地の滝を題材としながらも、それぞれの滝の個性や周囲の環境、そしてそこにまつわる人々の暮らしや信仰までを巧みに表現することで、多様な水の姿と日本の風景の美しさを描き出しています。 特に、中国山水画の影響を受けた構図や、当時としては画期的な輸入化学染料「ベロ藍」を用いた鮮烈な青色の表現は、作品に独特の風格を与えています。

北斎は、文政8年から天保8年にかけて刊行された『日光山志』の挿絵制作にも携わっており、日光の華厳の滝や霧降の滝を描いた経験が、『諸国瀧廻り』制作の背景にあると考えられています。これらの経験を通じて、様々な形態の水を表現したいという北斎の意欲がますます高まったのでしょう。版元である西村屋与八も、新たな錦絵の需要を見据えていたとされており、両者の思惑が一致することでこの作品が実現したと考えられます。

各図の解説

それぞれの図は、以下のような滝を描いています。

和州吉野義経馬洗滝: 奈良県吉野郡下市町にある行者の滝または知行の滝をモチーフに、源義経が馬を洗ったという伝承にちなんで描かれています。水量豊かな滝と、馬を洗う二人の人物が躍動的に表現されています。

下野黒髪山きりふきの滝: 日光三名瀑の一つである霧降の滝と、参詣者を描いた作品です。滝の流れは女性の黒髪を思わせる繊細なタッチで描かれており、男体山（黒髪山）からの着想が感じられます。実際には上下二段の滝ですが、画面では左上の上滝と右上の下滝を組み合わせ、ダイナミックな表現となっています。

木曽海道小野ノ瀑布: 長野県木曽郡上松町にある小野の滝をモチーフにした作品。ダイナミックに落下する滝と、それを仰ぎ見る人々の姿が描かれており、滝の雄大さを際立たせています。

木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧: 岐阜県郡上市にある阿弥陀ケ滝を描いたと見られています。なだらかな渓流から突然直線的に流れ落ちる滝のダイナミックなコントラストと、酒を酌み交わす人々の姿が対比的に描かれています。

相州大山ろうべんの滝: 神奈川県大山にある滝で、大山寺を開山した良弁にちなんで名付けられた「ろうべんの滝」を描いています。大山詣でで水垢離をする人々と、供えられる太刀が描かれています。

東海道坂ノ下清滝くわんおん: 三重県亀山市から滋賀県甲賀市へ向かう鈴鹿峠近くの小さな滝と、観音堂を描いた作品。画面構成には北宋初期の画家范寛の『谿山行旅図』の影響が見られると言われています。

東都葵ヶ岡の滝: 東京都港区虎ノ門にあったとされる人工の滝を描いた作品。江戸の日常風景が背景に描かれており、都会の片隅にある滝の情景が表現されています。

美濃ノ国養老の滝: 岐阜県養老郡養老町にある養老の滝を描いた作品。滝壺から上がる水飛沫や、うねり上がる川の流れなど、水の様々な形態が、一画面に凝縮されています。

北斎の表現技法

『諸国瀧廻り』は、北斎の高度な表現技法が駆使された作品でもあります。中国山水画の構図を取り入れつつ、独自の表現技法も用いることで、滝のダイナミックな流れや水の透明感、そして周囲の風景の繊細な描写を見事に実現しています。鮮やかなベロ藍による青色の表現は、作品全体の印象を大きく左右しています。

まとめ

『諸国瀧廻り』は、単なる風景画にとどまらず、北斎の芸術性、そして日本の自然と文化の豊かさを伝える、貴重な作品です。それぞれの滝の個性、人々の生活、信仰といった要素が絶妙に絡み合い、見る者に深い感動を与えてくれます。この作品は、北斎の晩年の制作活動の中でも特に重要な位置を占めており、彼の芸術家としての才能を改めて認識させるものです。

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