賜物

ウラジーミル・ナボコフの『賜物』：亡命と芸術の探求

ウラジーミル・ナボコフがロシア語で書いた最後の長編小説『賜物』（原題：Дар、英語：The Gift）は、亡命ロシア人作家のフョードル・ゴドゥノフ＝チェルディンツェフを主人公に、彼の文学的野心、芸術家としての成長、そして愛を深く掘り下げた作品です。ベルリンを舞台に、1935年から1937年にかけて執筆され、連載時には作者の筆名であるウラジーミル・シーリンの名で発表されました。この小説は、その難解さにもかかわらず、ナボコフのロシア語時代の最高傑作の一つとされています。

作品の背景と構成

『賜物』は、亡命ロシア人社会を背景に、複雑な構造と多層的なテーマを持つ作品です。第4章にあたるニコライ・チェルヌイシェフスキーの伝記小説部分は、発表当初は掲載を拒否されました。ナボコフ自身による英語訳のチェックを経て、1963年に英訳版が出版され、世界的に評価されるようになりました。

主人公フョードルは、ロシア革命後にベルリンへ亡命した若き作家です。彼の文学的成長、ジーナ・メルツとの恋愛、そして父の探検にまつわる記憶が物語の軸となっています。この小説は、メタフィクション構造を持ち、最終章でフョードル自身が『賜物』に似た小説を書く構想を語ることで、物語全体が主人公の創作であるかのような錯覚を生み出します。

プロットの展開

第1章：ベルリンでの新生活を始めたフョードルは、自身の詩集に対する評価を期待するも、思わぬ出来事に直面します。亡命ロシア人の文学サークルに参加し、ライバルと目されるコンチェーエフとの出会いなど、彼の亡命生活が描かれます。

第2章：フョードルは家庭教師の仕事をしながら、ロシアの自然や亡き父との思い出に浸ります。母の訪問と、父に関する本を書こうとする試みが描かれます。父の冒険家としての生涯や、蝶への愛着が彼の創作活動に影響を与えます。

第3章：フョードルは、日常の喧騒の中で詩作に励み、家庭教師先の娘であるジーナ・メルツと恋に落ちます。チェルヌイシェフスキーの伝記を執筆するという突飛なアイデアが生まれる一方で、彼の執筆活動は難航します。

第4章：「チェルヌイシェフスキーの生涯」という小説内小説が描かれます。これはフョードルが書いた19世紀の思想家チェルヌイシェフスキーの伝記で、嘲弄的な視点と詳細な歴史的事実が混在しています。これは作品内では出版を拒否された章です。

第5章：「チェルヌイシェフスキーの生涯」の出版をめぐる騒動と、フョードルとジーナの恋愛の進展が描かれます。コンチェーエフの好意的な反応や、ベルリンの亡命者文学界の動向が物語を彩ります。最終的に、フョードルは新しい小説の構想を思い描き、ジーナとの未来を誓います。

作品のテーマと構造

『賜物』は、芸術と人生、現実と虚構、過去と現在など、相反する要素を織り交ぜながら、深いテーマを探求しています。

文学と現実: この小説では、文学が現実を反映するだけでなく、現実を形成する力を持つことが示されています。フョードルの創作活動と彼の人生は密接に結びついており、文学的な要素が彼の人生や関係性を規定しています。
愛のテーマ: フョードルとジーナの恋愛は、物語の中核をなす重要なテーマです。二人の関係は、文学的な創造活動と密接に結びついており、芸術と愛の両方が彼の成長を促します。
亡命とアイデンティティ: 亡命ロシア人としてのフョードルの経験は、彼のアイデンティティと文学的な視点を形成する上で重要な要素となっています。故郷喪失と新たな場所での生活というテーマが、彼の作品と人生観に深く影響を与えています。
メタフィクション: 物語の構造自体が、小説の創作過程を意識させるメタフィクション的な要素を含んでいます。最終章で、フョードルが自身が書くはずの小説を語ることで、物語と現実の境界線が曖昧になります。

作品の評価と影響

『賜物』は、その複雑な構成と深いテーマから、多くの批評家や読者によって議論されてきました。初期の評論では、フョードルの芸術家としての成長を描いた小説と見なされていましたが、後には愛の告白に近い作品であるという見方も提唱されています。この作品は、ナボコフの他の作品と同様に、文学、哲学、心理学など多岐にわたる分野に影響を与えてきました。

この小説は、その革新的な文体と構造、そして深いテーマによって、文学史における重要な位置を占めています。ナボコフの独特な視点と文学に対する深い洞察が、この作品を唯一無二のものとしています。

付録：父の蝶

『賜物』には、「父の蝶」という付録的な作品が存在します。この作品は、ナボコフの死後に息子ドミートリ―によって翻訳され、出版されました。これは、父親への愛情と、彼が愛した蝶への深い関心を語った作品です。

日本語訳

『賜物』は、日本語訳も複数存在します。大津栄一郎訳、沼野充義訳などがあり、それぞれ異なる視点と解釈で作品の魅力を伝えています。2019年には「ナボコフコレクション4」に収録され、新たな読者に親しまれています。

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