辻一三

辻 一三（つじ いちぞう）は、1903年（明治36年）3月14日に生まれ、1989年（平成元年）9月6日にその生涯を終えた、日本の政治家です。特に昭和期において、公選制としては3人目となる佐世保市長として市政を担い、同市の名誉市民に選ばれています。

現在の広島県呉市にあたる安芸郡音戸町で育ち、1925年には長崎高等商業学校（現在の長崎大学経済学部）を卒業しました。卒業後は、辻産業や西九州倉庫といった企業の経営に携わり、実業界で活躍しました。その手腕を買われ、1958年には佐世保商工会議所の会頭に就任。さらに佐世保市議会議員となり、市議会議長も務めるなど、市政の舞台で経験を積みました。

政治家としての頂点は、1963年4月の佐世保市長選挙です。現職の市長を破り、第17代佐世保市長に就任しました。以後、1979年までの4期16年間にわたり、佐世保市のリーダーとして数々の難局に立ち向かうことになります。

市長就任からわずか2年後の1965年、辻氏は喉頭がんが発見され、手術を受けることになりました。この手術によって声帯を失うという厳しい現実を突きつけられます。一時は職務の継続を諦め、辞任も検討しましたが、並々ならぬ決意と努力をもって食道発声法を習得し、再び市政の場に復帰しました。こうして、前例のない「声なき市長」として、困難な状況下でも市民のために働き続けることを選びました。

彼の市長在任期間は、日本が高度経済成長を遂げる一方で、国際情勢が緊迫していた時代と重なります。特に、ベトナム戦争が激化する中、佐世保港への米軍艦寄港問題は大きな政治課題でした。反対派住民からの強い抗議がありましたが、現地市長として、日本で初めての米原子力潜水艦シードラゴンの寄港、そして1969年には米海軍の象徴である原子力空母エンタープライズの寄港を受け入れるという、極めて難しい判断を下しました。エンタープライズ入港の際には、反対する学生と機動隊が衝突し、多くの負傷者を出す騒乱（エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件）が発生するなど、激しい混乱に見舞われました。辻氏は、こうした社会的な分断や混乱の中でも、港湾都市佐世保の現実と向き合い、市長としての職責を果たしました。

原子力艦寄港問題以外にも、多岐にわたる市政課題に奔走しました。1967年7月には大規模な水害が発生し、その復旧に尽力。経営危機に陥っていた佐世保重工業の再建支援にも積極的に取り組み、同造船所での原子力船「むつ」の改修受け入れ問題にも対処しました。また、相次ぐ炭鉱閉山によって多くの離職者が出た際には、その対策に追われ、地域経済の立て直しに力を注ぎました。これらの課題は、いずれも佐世保市の将来を左右する重要なものであり、辻氏は強いリーダーシップを発揮して困難な舵取りを行いました。

4期16年という長期にわたり佐世保市政を牽引した後、1979年の市長選挙には出馬せず、政界から引退しました。その功績に対し、1973年には勲三等旭日中綬章を受章しています。また、民間人としては異例の米国防総省海軍長官表彰を受けたほか、佐世保市名誉市民、日本対ガン協会賞など、多数の賞を受賞しました。評論家の草柳大蔵は、1969年の週刊誌企画で「戦後日本の政治家」の第1位に辻氏を挙げており、当時の世論における彼の評価の高さがうかがえます。自らの経験を綴った著書には「ガンに勝ったひとびと」、「沈黙の港」、「私の半世紀」などがあります。

辻一三の生涯は、一人の人間が病という逆境を乗り越え、「声なき」状況下で激動の時代と向き合い、地方都市のリーダーとして数々の難題に立ち向かった姿を示しています。彼の市政運営は、港湾都市佐世保が歩んだ昭和期の困難と発展の歴史を色濃く反映しています。

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