通仙散

華岡青洲と全身麻酔薬「通仙散」：危険と革新の狭間で

江戸時代、外科医華岡青洲によって開発された全身麻酔薬「通仙散」は、日本のみならず世界医学史においても重要な位置を占める。通仙散は、別名「麻沸散」とも呼ばれ、その開発には数々の困難と犠牲が伴った。

危険な薬草の配合

弟子の記録によると、通仙散の成分は、当時毒草として知られていた植物を精巧に配合したものだった。主な成分は曼陀羅華、草烏頭、白芷、当帰、川芎で、これらを細かく砕いて煎じ、滓を取り除き、煮詰めたものを服用する。効果が現れるまでには2～4時間かかったとされる。しかし、その強力な毒性ゆえ、取り扱いには高度な技術と知識が必要とされた。

曼陀羅華に含まれるアトロピンと、草烏頭に含まれるアコニチンという、互いに拮抗作用を持つ成分が配合されていると考えられている。アトロピンはアセチルコリン受容体を阻害し、アコニチンはアセチルコリンを遊離させる。この相反する作用のバランスを巧みに制御することで、麻酔効果を得ようとしたと推測される。しかし、アトロピンもアコニチンも強力な毒であり、致死量も少なくないため、その取り扱いは非常に危険を伴うものであった。青洲が通仙散の調合を秘伝としたのも、この危険性を十分に認識していたからだろう。

妻と母の犠牲

青洲は、通仙散の臨床実験を繰り返し行った。その過程で、妻の妹である加惠は失明し、母親の於継は多量の服用により命を落とした。にもかかわらず、青洲は実験を続け、ついに全身麻酔の実用化に成功した。この事実は、青洲の医学への情熱と、当時の人々の命に対する認識を改めて考えさせる。また青洲は、小外科手術用の麻酔薬として「美爾煎」も開発しており、その医学的貢献は多岐に渡る。

国際的な評価

青洲の偉業は、1954年に国際外科学会で発表され、高い評価を受けた。米国シカゴにある国際外科学会の栄誉館には、青洲の功績が展示されている。これは、青洲の研究が、人類の福祉と世界外科医学の発展に大きく貢献したことを示すものである。

「麻沸散」との関係性

通仙散は「麻沸散」とも呼ばれるが、青洲自身の著作には「麻佛散」と記されている。これは、後漢末期の医師・華佗が用いたとされる麻酔薬「麻沸散」になぞらえたものと考えられる。しかし、華佗の麻沸散の具体的な配合は不明であり、青洲は独自の処方を開発した。北京の中医研究所の研究によれば、通仙散の主要成分である曼陀羅華は、華佗の時代には中国に存在しなかった可能性が高く、青洲の処方は華佗の麻沸散を直接再現したものではないと考えられる。青洲の処方は、中国元代の医書や、花井仙蔵、大西晴信といった当時の医師たちの処方を参考に、さらに水戸藩医の原南陽からの示唆も受けて改変された可能性がある。また、青洲が使用した曼陀羅華の薬用部位は、当時の南蛮・紅毛流の流儀に則っていたと考えられている。

まとめ

華岡青洲と通仙散は、危険な薬草を用いた全身麻酔薬開発という、当時としては非常に大胆な挑戦であり、その成功は世界医学史に大きな足跡を残した。その開発には多大なる犠牲が伴ったが、青洲の医学への情熱と、危険を顧みない探究心は、後世に大きな影響を与え続けている。彼の功績は、単なる医学的な成果だけでなく、時代を超えて人々に勇気を与え続ける、不朽の遺産と言えるだろう。

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