釜山鎮の戦い

文禄元年（1592年）4月13日、朝鮮半島南端の要衝である釜山において、日本軍と朝鮮軍の間で最初の本格的な戦闘が発生しました。この戦いは、ほぼ同じ頃に行われた多大鎮の戦いと共に、日本による朝鮮出兵（文禄・慶長の役）の口火を切るものとなりました。

背景と開戦

日本軍の第一の目的は、朝鮮半島に確固たる足場を築き、沿岸部の制海権を掌握することでした。このため、朝鮮の地理や情勢に詳しい対馬の領主、宗義智（そうよしとし）の知見に基づいて、釜山本城に加え、近隣の多大鎮（ただじん）や西平浦（せいへいほ）にある砦への同時攻撃という戦略が立てられました。

攻撃前日の4月12日、渡海した日本軍は釜山城内に書状を送り、朝鮮を一時的に通過して明へ向かう「仮途入明（かとじゅんみん）」を要求しました。しかし、朝鮮側の辺将であり釜山僉使（ふざんせんし）を務める鄭撥（ていはつ）はこの要求を黙殺。これを受け、翌13日の早朝6時、宗義智率いる部隊が釜山の城壁に攻め寄せ、ここに戦端が開かれました。一方、別動隊を率いていた小西行長は、同時刻に多大鎮の攻略を開始していました。

激戦と城の陥落

鄭撥は、敵の手に軍船が渡るのを防ぐため、自国の軍船を自ら沈め、兵士や住民と共に釜山城に籠城する戦術を選択しました。

日本軍は、先進的な火縄銃による援護射撃を受けながら、城壁に次々と梯子を掛けて攻撃を敢行しました。数多くの実戦を経験した日本兵は、朝鮮側の防御を圧倒していきました。宗義智の猛攻に対し、朝鮮軍は一度は第二の防衛線まで後退を余儀なくされます。鄭撥は、弓兵を再編成して反撃を試みましたが、この時には既に朝鮮軍は第三の防衛線まで押し戻されていました。

数時間にわたる激しい攻防の後、朝鮮軍は矢弾を使い果たし、継戦能力が低下しました。日本軍もまた少なからぬ損害を被りましたが、部隊を再編成した後、再び攻撃を再開しました。激戦の最中、鄭撥は被弾して戦死。指揮官を失った朝鮮兵は戦意を喪失し、総崩れとなりました。午前8時頃には日本軍が城内に突入し、副使の李庭憲（りていけん）を含む多くの朝鮮側将兵が討ち取られました。

戦後の惨状と水軍の反応

城が陥落した後、釜山城内にいた朝鮮側の軍民は、ほとんど全てが容赦なく殺戮されたと伝えられています。この戦いに参加していた松浦鎮信（まつらしげのぶ）の家臣、吉野甚五左衛門（よしのじんござえもん）の従軍記『吉野日記』には、その生々しい光景が記録されています。戸板の下に隠れていた兵士を見つけ出して殺害し、許しを乞うてひれ伏す者さえ踏み殺したと記されており、「女男も犬猫もみなきりすて、きりくびは3萬ほど」という衝撃的な記述が残されています。吉野自身も、後にこの時のことを振り返り、「武士とは鬼おそろしや」とその残虐性を記しています。

一方、釜山から山を隔てた反対側に位置する左水営（さすいえい）を拠点としていた慶尚左水使（けいしょうさすいし）の朴泓（ぼくおう）は、山頂から釜山城が攻撃されているのを見て驚愕しましたが、救援に向かうことなく、自身の任地と軍船を放棄してそのまま逃走しました。また、隣接する管轄区域である巨済島（きょさいとう）の右水営（うすいえい）から急行してきた慶尚右水使（けいしょううすいし）の元均（げんきん）は、現地の混乱状況を見て兵を集めて戦うことは不可能と判断。慶尚道に属する二つの水軍が保有していた100隻余りの軍艦と火砲を自ら海に沈め、自身は側近と共に数隻の小舟に乗って昆陽（こんよう）まで退却しました。

結果とその後

こうして日本軍は釜山を完全に掌握しました。釜山は古くから日本との交易が盛んで、多くの日本人住民が暮らしていた場所です。この戦い以降、釜山は日本の大陸侵攻における主要な輸送拠点となり、対馬から兵員や食料などの物資が継続的に輸送されることになります。

日本軍の第一軍は釜山陥落によって最初の目標を達成しましたが、確保した橋頭堡を防衛するためには、釜山から数キロ北にある東萊城（とうらいじょう）も攻略する必要がありました。釜山鎮の戦いの翌日、4月14日の早朝、宗義智は先の戦闘で損害を受けた部隊を率いて東萊城への電撃的な攻撃を開始しました。この一連の動きが、文禄・慶長の役の戦線拡大へと繋がっていくことになります。

異説

ただし、朝鮮側の史料には、この戦いにおける鄭撥の最期について全く異なる記録も存在します。例えば、『宣祖実録（せんそじつろく）』によれば、鄭撥は島に滞在中に日本の船影を見たものの敵とは思わず、また日本からの使節が来たと誤解して防備を怠っていたとされています。そして、彼が城に帰着する前に攻撃が始まり、急いで駆けつけたものの乱戦の中で命を落としたと記されています。彼が奮戦したとされる内容は、『宣祖寶鑑（せんそほうかん）』やそれを基にした書籍に見られます。

しかし、鄭撥は後に「忠烈公（ちゅうれつこう）」という名誉ある諡号（しごう）を贈られており、都合の悪い内容が改変された可能性も指摘されています。『西征日記（せいせいにつき）』では戦闘時間はわずか2時間だったとされ、『寄斎雑記（きさいざっき）』（朴東亮著）には「鄭撥は宿酔いがまだ醒めず、一矢も放たずに死んだ」とも書かれており、鄭撥の奮戦は後に作り上げられた虚飾であるという説も存在します。これらの異説は、戦いの実態を巡る歴史認識の多様性を示しています。

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