阿字観

阿字観（あじかん）

阿字観とは、密教における瞑想法の一つで、根本経典である『大日経』にその起源を持ちます。特に日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとされています。この瞑想法は、主に真言宗において実践されてきました。

概説

阿字観は、空海の事相の中でも現存する数少ない遺法の一つです。日本の密教における事相は、通常「四度立て」の修法を基本としますが、実際には空海直伝ではなく、平安末期の興教大師覚鑁の著作を基に鎌倉時代に始まったとされています。

平安密教は、戦乱や飢饉、そして元暦2年（1185年）の京都大震災によって衰退しました。この大震災は首都機能を麻痺させ、貴族政権を崩壊させ、国家仏教であった真言宗と天台宗も大きな被害を受けました。そのような状況下で、古密教の事相の中で歴史的な変動を生き残ったものの一つが阿字観です。

阿字観は別名「阿字観ヨーガ」とも呼ばれ、真言宗では、大日[[如来]]を表す梵字を月輪の中に描き、蓮華の上に置いた軸を見つめ、姿勢と呼吸を整えて瞑想します。元来、真言宗の僧侶の修行法でしたが、後に一般にも知られるようになりました。

阿字観のトレーニングには、「数息観」「阿息観」「月輪観」といった瞑想法が用いられます。また、『大日経』に基づく『胎蔵界法』の「五輪観」や、「十八契印」に基づく『護身法』、「金剛薩埵厳身観」に基づく「三密観」も関連する瞑想として知られています。

近代になると、一般の寺院では阿字観はあまり行われなくなりましたが、古式に則った阿字観では、現在でも「護身法加行」が行われ、「護身法折紙」や「護身法切紙」が伝えられています。

阿字観の功徳

古典の一つである『阿字義』には、阿字観の効能について次のように述べられています。

初心の行者が阿字観を行う際、心がまだ純粋な境地に至っていない場合、まず蓮華を描き、次に月輪を描き、その中に「阿字」を書いて軸装し、目の前に掲げて観想します。この観想に熟達すると、「阿字」が心から光を放ち、三世十方法界の諸仏の浄土に届くとされています。光は行者の全身を巡り、六根の罪業や障害が清められます。

六根が清浄になると、心の本質も清らかになり、透明な水晶や満月のように澄み渡ると言われています。この状態で世間の輪廻に目を転じると、一切のものが砕け散り、幻影が消え去るとされます。阿字観を修することで、あらゆる煩悩が除かれ、多くの効能が得られるとされています。

阿字観では、八葉の蓮華を観想しますが、これは人の心臓のチャクラを象徴しています。この八葉の蓮華を開くことで、無量の法門が具足すると言われています。例えば、百八の三昧（瞑想）や五百の陀羅尼（真言）など、無数の法門が具足するとされています。

諸仏を拝みたい、供養したい、菩提（悟り）を証得したい、菩薩のように生きたい、衆生を利益したい、あらゆる成就を得たい、一切の智慧を得たいと願う人は、他の瞑想法を求める必要はなく、ただ阿字観を観想するべきだと説かれています。

私たちの心は元々清浄ですが、無明によって覆い隠されています。この心を清めることができれば、それは『大日経』に説かれる「胎蔵界曼荼羅」として現れます。この曼荼羅も「阿字」も、他の場所から来たものではなく、心から生じるものです。禅定を修め、心が清浄になることで、「阿字」も心に現れ、大きな果報を得ることができるとされます。これは他人に与えられるものではありません。

短命の人でも、日々三時に「阿字」を観想すれば長寿を得られるとされ、呼吸の中に「阿字」を観想すれば、寿命が延び健康を保てると言われます。これは「阿字」の菩提心が不生不滅の法門であるからです。呼吸を工夫する際には、鼻の先15センチの所に「阿字」を観想することが良いとされています。

阿字観の功徳には、下品では死の間際に生き返る、中品では虚空に昇るような自在の境地を得る、上品では「無上正等覚」に至るとされています。

阿字観の種類

日本の密教には「現行の阿字観」と「古密教の阿字観」があり、内容には大きな違いがあります。

日本密教の一般的な阿字観（現行の阿字観）

現行の阿字観は、『阿字観略次第』に基づいて行われます。その次第は以下の通りです。

1. 三礼
2. 着座作法
3. 護身法
4. 浄三業（印言）
5. 三部三昧耶（印言）
6. 被甲護（印言）
7. 発菩提心（印言）
8. 三昧耶戒（印言）
9. 五大願（結印）
10. 胎蔵界五字明呪（印言、108反）
11. 阿字観（法界定印）
12. 仏眼仏母（印言）
13. 普供養（印言）
14. 三力偈（印言）
15. 祈願
16. 護身法
17. 三礼
18. 出堂

現行の阿字観には、「数息観」「阿息観」「月輪観」などの補助的な瞑想法も含まれます。

日本密教の古密教の阿字観

古密教の阿字観も、『阿字観略次第』に準じますが、次第が異なります。

1. 三礼
2. 着座作法、普礼
3. 護身法
4. 浄三業（身口意）観空（印言）【奢摩他；シャマタ】
5. 五仏灌頂真言（瓶灌頂；頭頂）（印言）【第一灌頂】
6. 三部灌頂（印言）
仏部（身；額）灌頂【第二灌頂】
蓮華部（口；喉）灌頂【第三灌頂】
金剛部（意；胸）灌頂【第四灌頂】
7. 被甲護（菩提心）観（印言）【毘鉢舎那；ビバシャナ】
8. 五大願（菩提心誓願、結印）
9. 九重阿字観（印言、本尊真言）
10. 覧字観（白色（頭頂）・赤色（両掌；臍に当てる）（印言）
11. 内五輪観（印言）
地輪（印言）
水輪（印言）
火輪（印言）
風輪（印言）
空輪（印言）
12. 満足句（印言）
13. 阿字観（法界定印、観想は異なる）
14. 仏眼仏母（印言）
15. 普供養（印言）
16. 虚空蔵転明妃（印言）
17. 三力祈願（印言）
18. 護身法
19. 三礼
20. 出堂

脚注

参考文献

「胎蔵界次第」（『小僧次第』より）、寛平法皇著、古写本。
「寛平法皇御作次第集成」、武内孝善著、東方出版刊。
続日本の絵巻7「阿字義 華厳五十五所絵巻 法華経絵巻」、小松茂美編集・解説、中央公論社刊。
「密教瞑想の研究 覚鑁大師の阿字観」、北尾隆心著、東方出版刊。
「道場観等観図解説」、北尾隆心著、東方出版刊。
「『密教大系』第九巻 密教の実践」、松長有慶他監修、法蔵館刊、平成6年。
印度學仏教學研究第39巻第2號　平成3年3月『幻化網タントラにおける灌頂』、木村秀明著。
「古密教 日本密教の胎動」（特別展 図録）、奈良国立博物館編・刊、2005年。
「唐大和上東征伝」、堀池春峰解説、東大寺刊、昭和39年。
「現代語訳一切経2： 智者大師別伝・不空三蔵行状・唐大和上東征伝」、福原隆全・頼富本宏・冨佐宣長訳、大東出版社刊、1997年。

関連項目

密教
真言宗
天台宗
九字護身法
* ゾクチェン

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