陪審法廷

陪審法廷

『陪審法廷』（ばいしんほうてい）は、日本の作家である楡周平が著した長編小説。第20回山本周五郎賞の候補作品に選出された。

概要

本作は、過去に運営されていた電子書籍配信プラットフォーム「Timebook Town」において、2005年6月から2006年7月にかけて連載形式で発表されたものである。その後、内容に大幅な加筆・修正が施され、2007年3月に単行本として出版された。

物語の主な舞台はアメリカ合衆国のフロリダ州。中心人物は、アメリカ独自の司法制度である陪審制度によって裁かれることになる一人の日本人少年である。執筆にあたっては、当時日本国内で導入が進められていた、国民が裁判に参加する裁判員制度を強く意識しているという背景がある。また、本作は実際にアメリカで発生した痛ましい事件に着想を得ている。それは、自身が性的虐待を受けているガールフレンドをその状況から救うために、彼女の父親を殺害した少年に関する事件で、現実の裁判では加害少年に対して終身刑の判決が下されたという。

あらすじ

グアテマラのスラム街で厳しい幼少期を送っていた少女パメラは、幸運な巡り合わせによって、アメリカで裕福に暮らす夫妻の養子として迎えられることになった。新たな環境で幸せな生活が始まるかに見えたが、その平穏は長くは続かない。ある夜、看護師として働く養母が夜勤で家を留守にしている間に、パメラは養父から性的暴行を受けてしまう。この事実を誰かに打ち明ければ、優しい養母を深く傷つけ、自身の安住の地も失われるだろうと考えたパメラは、なす術もなく、ただ養父への強い殺意を募らせていく。

パメラが抱える深い苦悩に気づいたのが、隣家に住む日本人少年、牧田研一であった。日頃からパメラに特別な感情を抱いていた研一は、彼女をその絶望的な状況から解放することを決意し、養父殺害の具体的な計画を立て始める。彼は自作のサイレンサーを用意するなど、周到な準備を進め、完全犯罪の実行を目指すが、その企てはあっけなく破綻し、研一は瞬く間に身柄を拘束されてしまう。そして、彼は第一級殺人罪で起訴されるに至る。

物語は、研一の将来を決定づける陪審員裁判へと移る。社会の多様性を反映した、ごく普通の市民から選出された12人の陪審員たちが、研一に対して下す判断は、実話に基づいた事件のように終身刑となるのか、それとも無罪となるのか。彼らの綿密な議論と、それぞれの価値観に基づく葛藤が描かれ、読者に対して司法のあり方や倫理観に関する問いを投げかける。

登場人物

牧田 研一（まきた けんいち）：15歳の少年。学校では常に優秀な成績を収め、空手で黒帯を持つなど文武両道で周囲から一目置かれている。愛称はケニー。隣に住むパメラに対し特別な感情を抱き、彼女を救うため重大な決意をする。父親は医師。
パメラ・クロフォード：グアテマラ出身。スラム生活の後、孤児院で育つ。アメリカへ不法入国後、収容施設を経てクロフォード夫妻の養子となる。しかし、養父から性的虐待を受け、深い心の傷と養父への殺意を抱く。
クレイトン・クロフォード：パメラの養父。高名な外科医であり、地域社会では敬虔な信者として厚い信頼を得ているが、裏ではパメラへの性的虐待を行っていた人物。
リサ・クロフォード：パメラの養母。看護師。養女であるパメラに優しく接する。
牧田 圭介（まきた けいすけ）：研一の父。老人医療を専門とする内科医。クレイトンと同じ病院に勤務。日本の医療システムに疑問を感じ、フロリダでの勤務を選んだ経緯を持つ。
アンディ・アンダーソン：通称A・A。イギリス人。グアテマラで恵まれない子供たちのための孤児院「契約の家」を運営し、欧米の支援者からの寄付で活動している。パメラの過去に関わる人物。
デニス・ロビンソン：研一の弁護を担当する弁護士。研一の両親からの依頼を受け、困難な状況下で弁護活動を行う。圭介のゴルフ仲間でもある。
由紀枝・テンプル：陪審員の一人。60歳。夫は日本文化の研究者で、長年日本とアメリカを行き来する生活を送っていたが、老後のために夫の故郷であるフロリダへ移住。人生で初めて陪審員として召喚される経験をする。

テーマと意義

本作は、アメリカの陪審制度を軸に据えながら、導入直前の日本の裁判員制度への問題提起や、一般市民が司法の判断に関わることの重みを深く追求している。性的虐待という許されない行為、それによって引き起こされる悲劇、そしてその状況から抜け出すために選ばれた極端な行動が、司法によってどのように評価されるのかが克明に描かれる。加害者の背景にある社会的な問題、被害者の計り知れない苦痛、そして法の裁きと個人の倫理観との間で揺れ動く登場人物たちの内面が丁寧に描写されている。12人の市民が悩み、議論し、最終的な判断を下す過程を通じて、読者は正義とは何か、罪の定義とその重さ、そして人間が人間を裁くことの意味について、深く思考を巡らせることになる。

関連項目

陪審員の選任
ミランダの権利

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