隅田川両岸景色図巻

葛飾北斎『隅田川両岸景色図巻』：幻の絵巻が語る江戸の風景

葛飾北斎の代表作として知られる『隅田川両岸景色図巻』は、江戸時代後期、文化2年（1805年）に制作されたとされる紙本着色絵巻です。全長716センチメートルという、北斎作品の中でも最長の肉筆画であり、隅田川沿いの風景を細密に描いた作品として高い評価を受けています。

制作の経緯と波乱の軌跡

落語家の烏亭焉馬の依頼により、焉馬の自宅「談州楼」で制作されたこの絵巻は、北斎46歳の頃の作品と推定されています。巻末には北斎が好んで用いた「画狂人」の印と「九々蜃北斎」の画号が押され、焉馬による狂歌も記されています。

明治時代には浮世絵商の林忠正が所有し、明治25年（1892年）の上野で開催された浮世絵展にも出品されました。その後、明治35年（1902年）にはフランスの国立競売場であるドゥロウで競売にかけられ、以降100年以上もの間、その所在が不明となり、「幻の作品」と称されるようになりました。

しかし、平成20年（2008年）にロンドンで競売にかけられた後、墨田区の調査によって平成27年（2015年）に所在が確認され、平成28年（2016年）に開館したすみだ北斎美術館が寄付金で購入、収蔵することになりました。

作品の特徴：隅田川の風景と吉原遊郭

『隅田川両岸景色図巻』は、浅草の柳橋・両国橋付近から吉原遊郭に向かう隅田川を遡る船旅の様子を、両岸の風景とともに時系列で描いた絵巻です。当時流行した、船で隅田川を遡り吉原遊郭へ向かう遊興の様子が、細密な描写で克明に表現されています。

北斎は、洋風の陰影法を取り入れた独自の表現技法を用いており、当時の隅田川沿いの街並みや人々の生活、そして吉原遊郭の賑わいなど、江戸時代の活気ある様子が生き生きと描かれています。特に、絵巻の最後の場面である吉原遊郭内部の描写は、細緻な筆遣いで、遊女たちに囲まれて酒を飲む男性の姿が印象的です。この男性が北斎自身ではないかとする説もあり、北斎の自画像である可能性も指摘されています。しかし、北斎の壮年期の自画像作品は他に存在しないため、この説については更なる検討が必要とされています。

また、山谷堀（現在は暗渠化されている）も描かれており、江戸時代の水路事情を知る上でも貴重な資料となっています。

評価と論争：傑作か、偽作か？

北斎研究の第一人者である永田生慈氏は、この作品が北斎の他の肉筆画にはない陰影法を用いていること、制作年や発注者などが明らかなことなどから、その価値を高く評価しています。

しかし一方で、絵巻全体にわたる筆致の違いや整合性の欠如から、明治時代に制作された偽作である可能性も指摘されています。

描かれた名所旧跡

『隅田川両岸景色図巻』には、多くの名所旧跡が描かれています。その中には、現在も残る両国橋、回向院、浅草寺、吾妻橋など、江戸時代の隅田川周辺の代表的な場所が多数含まれています。これらの名所旧跡は、絵巻を通して江戸時代の歴史や文化を知るための重要な手がかりとなっています。

まとめ

『隅田川両岸景色図巻』は、北斎の卓越した画技と、江戸時代の活気ある風景を伝える貴重な作品です。その制作過程や、長らく行方不明だった歴史、そして真贋論争を含め、多くの謎と魅力に満ちた絵巻と言えるでしょう。すみだ北斎美術館での所蔵公開は、北斎研究のみならず、江戸時代の歴史や文化を理解する上で、重要な役割を担っています。

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