食道発声

喉頭がんなどの病気により喉頭をすべて摘出し、声帯を失った方が再び音声によるコミュニケーションを行うための重要な手段の一つに、食道発声があります。これは、失われた声帯の代わりに食道を用いて声を作り出す方法です。

その基本的な原理は、まず口や鼻から空気を吸い込み、それを食道へと飲み込みます。食道に一時的に貯められた空気を、次にお腹の筋肉（腹筋など）の力を使って一気に押し出します。このとき、押し出される空気によって食道の壁、特に粘膜が振動することで音が発生します。この音は、日常的に無意識に行われる「げっぷ」が出る際の音に似ていますが、食道発声ではこの音を意識的に作り出し、口や舌の動きを使って言葉として調音します。いわば、自然な生理現象であるげっぷを人為的に操作し、発声に利用する技術と言えます。

声帯を失った方のための代替発声法としては、食道発声の他にもいくつかの選択肢が存在します。例えば、電池で動く人工的な装置を首元に当てて音を発生させる電気式人工咽頭や、外科手術によって食道と気管の間に新たな通路（瘻孔）を設け、そこに空気を通して発声するシャント発声（気管食道瘻発声）などがあります。

これらの代替法の中で、食道発声は特に多くの利点を持つと指摘されています。日本の公益法人である銀鈴会など、喉頭摘出者の発声指導を行う専門機関は、食道発声を推奨することが多いようです。その理由として、まず特別な器具を必要としない点が挙げられます。電気式人工咽頭のように常に持ち歩く装置は不要ですし、シャント発声のように複雑な外科手術を追加で行う必要もありません。そのため、初期費用や継続的なメンテナンス費用、消耗品の費用などがかからず、経済的な負担が少ないという大きなメリットがあります。また、両手が自由に使えるため、電話や作業をしながらでも発声が可能です。さらに、訓練を積み重ね、技術が熟練すれば、抑揚のある会話はもちろんのこと、場合によっては歌を歌うことも可能になります。これは、機械的な音になりがちな電気式人工咽頭などにはない、食道発声ならではの大きな魅力と言えるでしょう。

一方で、食道発声には無視できない課題や欠点も存在します。最も大きなハードルの一つは、その習得に根気強い練習と時間がかかることです。空気を食道に「飲み込む」動作や、それを適切な腹圧で押し出す感覚を掴むまでには個人差があり、練習の過程で挫折し、習得を断念してしまう方も少なくありません。また、食道発声は、ある程度の体力、特に腹筋などの筋力を必要とします。そのため、喉頭摘出手術後の体力の回復が十分でなかったり、高齢であったりするなど、体力に自信のない方にとっては習得が難しく、不向きな場合があります。

発声が可能になった後も、いくつかの制約が伴うことがあります。例えば、食道を振動させて作る音は、もともとの声帯による声と比較すると、一般的に声量が小さくなりがちです。そのため、騒がしい場所での会話や、広い場所で大きな声を出したいといった場面では、発声が困難を感じることがあります。また、長時間にわたって連続して発声することにも限界がある場合が多いとされています。

このように、食道発声は習得の難しさや体力的な制約、声の特性といった短所がある一方で、器具や手術が不要で経済的、両手が自由になる、そして熟練すれば豊かな表現力を持つ声を作り出せるという長所も多く持ち合わせています。これらの特徴を理解した上で、本人の状況や希望に合わせて他の代替発声法と比較検討し、選択されるべき方法と言えるでしょう。日本国内でも、この技術を習得し、再び声を取り戻した方々が活躍しています。例えば、漫才師のコロムビア・ライト氏や、音楽プロデューサーのつんく♂氏などが、がんの治療によって声帯を摘出された後に食道発声を習得された著名な例として知られています。食道発声は、声帯を失った方が再び社会とのつながりを持ち、豊かな生活を送るための大切な選択肢の一つとして、多くの人に希望を与えています。

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