JCウイルス

JCウイルス（JCV）

JCウイルス（JCV）は、ポリオーマウイルス科ベータポリオーマウイルス属に分類される、エンベロープを持たないDNAウイルスです。以前はポリオーマウイルス属に分類されていましたが、2015年の属分類の変更に伴い、「ヒトポリオーマウイルス2（Human polyomavirus 2）」という名称に変更されました。

概要

このウイルスは、1971年にPadgettらによって、進行性多巣性白質脳症（PML）の患者さんの大脳から初めて分離されました。ウイルスの名称は、最初に分離された患者さんのイニシャル「J.C.」に由来しています。

健常な成人の70%以上にJCVに対する抗体が確認されることから、多くの人々が幼少期に特別な症状を示すことなく感染すると考えられています。感染は主に口や鼻からウイルスを取り込むこと（経口または経気道感染）によって起こり、最初のウイルスの増殖は扁桃で生じるとされています。その後、ウイルスは血液（おそらくBリンパ球を介して）によって全身に運ばれ、腎臓、脾臓、骨髄などの臓器で潜伏感染の状態になります。

腎臓で潜伏感染しているウイルスは、尿中に排出されることがあり、これを「原型（archetype）」と呼びます。一方、PMLを発症した患者さんの中枢神経から分離されるウイルスは、ウイルスの遺伝子の中でも調節領域と呼ばれる部分が原型とは異なり、多様な変化を遂げていることが知られています。尿中に見られる原型ウイルスが、体内で変化してPMLの原因となるウイルスに再編成されると考えられていますが、この調節領域の再編成がPML発症の直接的な原因なのか、あるいは発症の結果として生じる変化なのかは、現在のところ明確には分かっていません。

疾患・薬物との関連

近年、医学の進歩により、様々な免疫抑制剤が難治性の病気の治療に用いられるようになりました。これにより病状の改善が期待できる一方で、免疫機能が低下した状態では、体内に潜伏していたJCウイルスが増殖を開始し、PMLを発症するリスクが高まることが分かっています。特にプログラフ、ネオーラル、レミケード、リツキサンといった薬剤の投与を受ける際には、PMLの発症に十分な注意が必要です。

分子疫学によるヒト集団研究

JCウイルスを用いた、ヒト集団の歴史や移動の経路を探る分子疫学的な試みも行われています。JCウイルスはヒトの腎臓に潜み、増殖したウイルス粒子は尿として体外に排出されます。そのため、健常な人の尿からもJCVのDNAを比較的容易に得ることができ、分子疫学研究にとって都合の良い材料となります。

加えて、JCVは日常的に接触する大人（主に両親）から子供へと伝播することが多く、ウイルスの進化速度が適度に速く、さらに株間での遺伝子の組み換えが起こりにくいという特性があります。これらの性質が、JCVをヒト集団の系統や歴史を推測するための指標として有用なものにしています。JCウイルスは純粋なヒト集団の系統をそのまま正確に反映するわけではありませんが、ある程度の参考情報として役立つと考えられています。

世界における亜型の分布

JCウイルスにはいくつかの異なる亜型が存在し、それぞれ独自の地理的な分布域を示しています。例えば：

ヨーロッパおよび地中海沿岸地域では主にEU型が多く見られます。
アフリカ全域とアジアの一部（西アジア、インド北部など）ではAf2型が分布しています。Af1型は中央アフリカと西アフ迦、Af3型は中央アフリカの一部に分布が見られます。
東アジアでは、B1-a、B1-b、B2、CY、MY、SCといった複数の亜型が、地域によって重なり合いながら分布しています。

異なるヒト集団が歴史的に混合したと考えられる地域では、複数のJCV亜型が共存しています。例えば、北アフリカではヨーロッパ系のEU型とアフリカ系のAf2型が見られます。西アジア（サウジアラビア、トルコなど）では、EU型、Af2型に加え、中央アジア系のB1-b型も分布しています。西インド洋のモーリシャスでは、アフリカ系のAf2型とアジア系のB1-b、B2、SC型が確認されています。

また、同じ亜型が地理的に遠く離れた場所で見つかることもあります。EU型は主にヨーロッパに分布しますが、韓国や日本でもわずかに検出されています。SC型は主に中国南部や東南アジアで見られますが、東南アフリカのモーリシャスやザンビアなどでも少量ながら確認されています。これらの遠隔地での同一亜型の発見は、過去あるいは近代におけるヒト集団の移動があったことを示唆していると考えられています。

日本における分布

日本列島におけるJCウイルスの亜型分布にも特徴が見られます。

西南日本では、中国北部で頻繁に見られるCYタイプが高い頻度で検出されています。
東北日本では、国外では朝鮮半島やアメリカ先住民に多く見られるMYタイプが高い頻度を示しています。

ヨーロッパで高頻度なEUタイプは、シベリアの先住民であるツングース系のチュクチやコリヤーク、イヌイット、ナナイにも高頻度で見られます。北海道のアイヌからは、EU、MY、MXタイプが混在して検出されています。また、EUタイプは韓国や日本の秋田県、青森県など、特定の地域でもわずかに確認されています。

青森県を含む東北地方で、シベリア先住民に多いハプログループNと呼ばれる遺伝子マーカーが高い頻度で見られることや、東北地方から北海道にかけての縄文人がコリヤーク人と混血していたことが研究で示唆されている点から、東北地方や北海道におけるJCVの分布パターンは、シベリア先住民からのウイルス伝播に関連している可能性が考えられています。