野毛大道芸

野毛大道芸は、神奈川県横浜市中区の野毛町を舞台に、1986年から毎年春に開催されている大規模な大道芸の祭典です。愛知県の大須大道町人祭、そして静岡県の大道芸ワールドカップin静岡と共に、日本における三大大道芸イベントの一つとして広く認知されています。

イベントの背景

明治時代、野毛地区は日本最初の鉄道駅である横浜駅（現在の桜木町駅）に近い立地と、成田山横浜別院や伊勢山皇大神宮の門前町として栄えました。祭りの時期には多くの見世物小屋が登場し、様々な芸が披露されていました。しかし、第二次世界大戦で大きな被害を受けた後、戦後の焼け跡には闇市が立ち並び活況を呈しました。美空ひばりがデビューした横浜国際劇場をはじめ、映画館や演劇場が多く集まるエンターテイメントの中心地でもありました。

昭和中期にかけて、野毛は桜木町にあった三菱重工業横浜造船所で働く人々や港湾労働者を対象とした飲食店街として賑わいます。ところが、1980年代に入ると造船所が移転し、根岸線の開通や横浜駅周辺、みなとみらい地区といった湾岸部の開発が進んだことで、人の流れが変化し、野毛地区の賑わいは徐々に失われていきました。このような街の衰退に対する危機感が、大道芸イベント誕生の契機となります。

誕生と黎明期

1976年にパリ国立サーカス学校でパントマイムを教え、1981年に帰国したIKUO三橋は、野毛にパントマイムのアトリエを開き、大道でのパフォーマンスも行っていました。野毛町のバー「パパジョン」の店主、島村秀二氏を中心とする商店主たちは、野毛の文化を盛り上げようと「野毛文化を育てる会」を結成し、様々なお祭りや寄席などを企画していました。三橋もこの活動に誘われ、参加することになります。

衰退しつつあった街を活性化するため、商店主たちは1985年に「春の野毛祭」を企画。通りに絵画を展示する露天画廊はあまり注目を集めませんでしたが、三橋氏が喫茶店の駐車場で行った大道芸が好評を博しました。この成功を受け、翌1986年から「野毛大道芸ふぇすてぃばる」として本格的な大道芸イベントがスタートしました。三橋氏は総合プロデューサーを務めます。初回は観客約3000人という規模でしたが、当時の日本には公道で芸を見せて投げ銭を得るという文化や制度が根付いておらず、道路使用許可の取得など多くの困難がありました。しかし、中華料理店「万里」の店主で、後に多くの街おこしを手がける福田豊氏を中心に、三橋氏、地元商店主、そして野毛にゆかりのある著名人たち（平岡正明氏、中村高寛氏ら）も協力し、イベントは徐々に認知度を高め、来場者を増やしていきました。

拡大と複雑な展開

1990年代に入ると、野毛大道芸は春と秋の年2回開催される恒例イベントとして定着します。来場者と出演者の増加は、商店主やボランティアによる運営体制に大きな負担をもたらすようになりました。このため、1995年春からは開催が年1回となり、同時に会場をランドマークタワーなどみなとみらい地区へと拡大しました。その後も新港地区、桜木町、赤レンガ倉庫、伊勢佐木町など、周辺地域へと会場を広げ、2003年には吉田町の路上アートフェスティバルも取り込み、期間中100万人規模の来場者を見込む一大イベントへと成長しました。

しかし、イベントが拡大する一方で、野毛地区自体は新たな課題に直面します。2004年1月のみなとみらい線開通に伴い、東急東横線の桜木町駅が廃止されたことは、野毛地区の商店街に深刻な影響を与え、経営難や閉店が増加しました。協賛金集めが難しくなるなど、運営面でも苦境に立たされます。野毛大道芸の実行委員会内部では、野毛地区に限定して原点回帰を目指すべきか、あるいは他の街との連携を深めて商店街を活性化させるべきかという方針の違いが鮮明になります。拡大路線を推進してきた福田豊氏が2005年に街づくり会の理事を退任すると、2006年には実行委員会が三つに分裂。

野毛地区に特化した「野毛大道芸」が継続される一方、福田氏は「ヨコハマ大道芸」を立ち上げ、さらにみなとみらい地区でも独自の実行委員会が設立され、三つの大道芸イベントが並立する事態となりました。この分裂については、方針の違いだけでなく、福田氏が進めてきた街おこしに対する反発が背景にあったという見方もあります。

分裂後、野毛地区街づくり会は野毛のブランド化に注力し、2007年には中小企業地域資源活用促進法に基づく認定を受けるなど、大道芸を通じた街づくりを推進します。しかし、2014年2月には運営における協賛金会計の不正が発覚し、春の開催が秋に延期される事態となりました。同年秋に開催された第40回の記念すべきイベントでは、分裂以降運営から離れていた福田氏、三橋氏、森氏といった初期の中心メンバーが運営に復帰し、新たなスタートを切りました。

特徴と運営

野毛大道芸で披露される芸は非常に多彩です。日本の伝統芸であるあめ細工、独楽曲芸、バナナのたたき売りといったものから、中国雑技、ジャグリング、パントマイムなど、海外で生まれたパフォーマンスまで幅広く見られます。特に、海外の一流大道芸人を積極的に招致している点が大きな特徴であり、これまでに徐領民雑技団やフライング・ダッチマンなど、多くの名パフォーマーが出演しています。

開始当初しばらくの間、出演者には出演料が支払われず、交通費として2万円と食事（うな丼とビール）が支給されるのみで、収入は観客からの投げ銭に依存するという独特のスタイルでした。また、パフォーマンスの自由度を尊重するため、厳密なスケジュールを設定しないことも特徴の一つです。

イベントの運営は、野毛街づくり会を中心とする地元の商店主などで構成される実行委員会と、多くのボランティアによって支えられています。来場者の増加に伴い、会場の収容能力や運営体制の限界による混雑、長年イベントを支えてきたボランティアの高齢化などが、現在の課題となっています。

野毛大道芝居

野毛大道芸の関連イベントとして、1994年から2005年まで開催されていたのが「野毛大道芝居」です。俳優の高橋長英氏が座長を務めましたが、その他の出演者のほとんどは舞台経験のない一般市民でした。大道芸の開催期間中に、野毛の街中の屋外で行われる素人芝居です。これも発案者は福田豊氏で、「大道芸があるのだから、大道芝居があっても良いだろう」という発想から始まりました。当時の野毛の飲食店を応援する目的もあり、福田氏の知人である高橋氏に声をかけたところ、その場に居合わせた朴慶南氏、平岡正明氏、荻野アンナ氏といった野毛の常連で著名な人々が興味を示し、出演者として参加することになりました。

初回公演の演目は「花のウエストサイド一本刀土俵入り物語」というユニークなもので、日本の古典的な物語とミュージカルを強引に組み合わせ、本筋とは関係ない賑やかな演出を混ぜ込むという手法が取られました。このスタイルは以降の大道芝居でも引き継がれます。入場料は無料で、大道芸と同様に観客が満足度に応じておひねりを渡す形式でした。

初回公演の成功を受けて継続が決定し、横浜市との交渉の結果、野毛山公園にあった市立図書館の仮設館を稽古場や道具置き場として使用できるようになり、ここは「フラスコ」と呼ばれました。第二回公演には作家の山崎洋子氏、第三回からは当時の横浜市長であった高秀秀信氏が参加するなど、多くの地元ゆかりの著名人が関わりました。一方で、野毛地区外からの参加者が増えたことに対する意見もあり、プロデューサーだった福田氏の理事退任や仮設館の閉鎖などが重なり、全11回をもって終了しました。

野毛大道芸は、単にパフォーマンスを披露する場にとどまらず、街の歴史的な背景や、衰退を乗り越えようとする人々の努力、そして地域文化の再生と深く結びついた、他に類を見ないイベントと言えるでしょう。

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