「彼の法」集団

「彼の法」集団：謎に包まれた中世密教集団の研究

13世紀前半から14世紀前半にかけて存在した「彼の法」集団は、日本の密教史において特異な位置を占める集団です。荼枳尼天を本尊とし、「髑髏本尊」と呼ばれる性的な儀式を特徴としていたことで知られていますが、その実態は長く謎に包まれてきました。本来の名称も不明であり、仏教学者の彌永信美氏によって便宜的に名付けられたのが「彼の法」集団という呼称です。真言宗醍醐派の学僧柴田賢龍氏による「内三部経流」という名称も存在します。

誤解と混同の歴史

「彼の法」集団は、しばしば真言立川流と混同されてきました。真言立川流の心定は、1268年に著した『受法用心集』において「彼の法」集団の儀式を邪教として厳しく批判しています。しかし、恵海の『破邪顕正集』（1281年）によって、「彼の法」集団と立川流が混同されるようになり、結果的に立川流自身も批判の対象となってしまうという事態が発生しました。

さらに、高野山真言宗の宥快（1345-1416）が著した『宝鏡鈔』（1375年）では、「彼の法」集団が後醍醐天皇側近の文観房弘真（1278-1357）と結び付けられることになります。南北朝時代という激動期において、北朝方の宥快が南朝の実力者であった文観派を排除するために、弱小集団であった「彼の法」集団をスケープゴートとして利用したという説が彌永氏によって唱えられています。一方、フランスの宗教学者ガエタン・ラポー氏は、宥快が敵対派閥を一括りに批判したと指摘しています。ラポー氏は、宥快の異端批判手法が後世にも影響を与えたと分析しています。

集団の名称と起源

「彼の法」集団の本来の名称は不明です。弥永氏はこの集団に関する唯一の信頼できる情報源である『受法用心集』で一貫して「彼の法」「此の法」と呼ばれていることから、この名称を採用しました。柴田氏は、髑髏本尊の教団が根本文献に「内三部経」を用いていたこと、心定『受法用心集』への小序に「内三部経」の記述があることを根拠に「内三部経流」を提唱しています。

起源についても不明な点が多いですが、心定の記述から、田舎真言師の一派、つまり正規の僧侶ではない民間信仰の人々によって形成された可能性が指摘されています。「彼の法」集団の血脈は真言密教の体系とは異なっており、弥永氏は素人が真言密教を模倣して作った可能性も示唆しています。しかし、同時に、唐代の経典『大佛頂廣聚陀羅尼經』に髑髏を使った儀式が記述されていることから、仏典に精通した人物が中心にいた可能性も否定できません。

教義と儀式

「彼の法」集団の本尊は荼枳尼天であり、『瑜祇経』『理趣経』『宝篋印経』『菩提心論』を重要な経典としていたとされています。『受法用心集』には、「髑髏本尊」の造立方法や、その験力について詳細な記述があります。髑髏の種類や、儀式に必要な真言、供物などが記されています。

性的な儀式は、「彼の法」集団の特徴として最も注目される点です。弥永氏は、中世密教の「赤白二渧論」や「胎内五位説」といった思想が背景にあると指摘しています。しかし、当時の性に対する認識や、批判者の意図的な誇張なども考慮する必要があるとされています。また、独自の金剛杵「人形杵」を用いていたことも知られています。

「彼の法」集団の本流においては、男女交合の体験が即身成仏の境地と見なされていたという説があります。これは、密教の自性清浄の思想や、『理趣経』の十七清浄句の誤読に起因する可能性が指摘されています。しかし、この説は、批判者側の記述に基づいており、必ずしも真実とは限りません。

隆盛と衰退

「彼の法」集団は13世紀中盤から後半にかけて最盛期を迎えたと考えられています。しかし、14世紀前半にはほぼ消滅したと推測されています。髑髏を用いた呪法の流行や、道玄による『髑髏法邪正記』の著述など、当時の状況を反映する史料も存在します。

宥快による批判とその後

宥快による『宝鏡鈔』での批判は、既に「彼の法」集団が消滅した後の出来事です。宥快が「彼の法」集団、立川流、文観派を結びつけた理由は、南北朝時代の政治闘争に関連していると考えられています。弥永氏とラポー氏両氏は、宥快による意図的なテキスト操作があったと指摘していますが、その動機付けについては異なる解釈をしています。

彌永氏は、宥快が文観派を排除するために、立川流をスケープゴートとして利用したと主張しています。一方、ラポー氏は、宥快が敵対派閥をまとめて批判したと分析しています。宥快の手法は、後の異端批判にも影響を与えたとされています。

文観房弘真と立川流は、宥快の批判によって邪教の烙印を押され、そのイメージは後世まで続きました。しかし、2000年代以降の研究によって、史料批判が進み、「彼の法」集団、真言立川流、文観派の三者がそれぞれ別の集団であることが明らかになり、名誉回復に向けた動きが出ています。

ポップカルチャーへの影響

「彼の法」集団、特に「立川流」は、性行為に基づく秘術を修めた秘密結社というイメージで、フィクション作品にも登場しています。伝奇小説や怪奇小説、コンピューターゲームなど、様々な作品で題材として取り上げられています。

まとめ

「彼の法」集団は、その実態の不明瞭さ、歴史的誤解、そして政治的背景など、様々な要素が絡み合った興味深い集団です。今後の研究によって、さらに多くのことが明らかになることが期待されます。

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