アムブロシアー

アムブロシアー

アムブロシアー（古代ギリシャ語: ἀμβροσία, ambrosia）は、古代ギリシャ神話の世界において、オリュンポスの神々が常食していたとされる、類まれなる力を持つ神秘的な食物です。単なる栄養源というよりは、神々の永遠性や超越的な力を維持するための特別な糧として描かれています。

その名前自体がその性質を示唆しています。古代ギリシャ語で「不死の」を意味する言葉に由来しており、否定辞「a」と「死すべき」を意味する「brotos」が組み合わさったものです。この語源からもわかるように、アムブロシアーの最も重要な特性の一つは、それを摂取した者に不死性を与えることでした。神々が永遠の命を持つのは、このアムブロシアーと後述するネクタルを常食しているためだと信じられていました。

アムブロシアーは、日々の供給経路も神秘的でした。世界の果て、日の沈む彼方とされる伝説上の大洋、オーケアノスの西岸から、白い鳩によって毎日、最高神ゼウスのもとへと運ばれてきたと伝えられています。この神聖な供物は、比類なき芳しい香りを放ち、その甘さは地上の蜜の九倍とも形容されるほどでした。この芳醇な香りは、神々の存在を示す兆しとしても機能したようです。

その効果は食べることに留まりませんでした。アムブロシアーには強力な治癒能力があり、傷口に塗布すればたちまちのうちに傷が癒え、苦痛が和らぐとされました。また、香油として遺体に施せば、時間による腐敗から守り、不朽の状態を保つことができると伝えられています。これは、神々が死から隔絶された存在であること、そして彼らの持ち物や関わったものが人間とは異なる次元にあることを象徴するかのようです。

さらに、アムブロシアーは神々の日常生活における様々な場面で利用されました。例えば、神々の持つ神聖な馬たちの飼料として用いられたり、女神たちがその美しさを保つための化粧用の香料としても使用されました。神話における有名なエピソードとしては、黎明の女神エーオースに愛されたトロイアの王子ティートーノスが、彼女によってアムブロシアーを与えられ、そのおかげで不死の存在になったという物語があります。しかし、彼は不死を得たものの、永遠の若さを得ることを忘れたため、やがて衰え果てて蝉になったとされています。これは、アムブロシアーによる不死も、完全な幸福を保証するものではないことを示唆しています。

アムブロシアーと並んで、神々の存在を支える重要な要素が、彼らの飲み物であるネクタル（古代ギリシャ語: νέκταρ）です。ネクタルもまた、アムブロシアーと同様に、飲む者に不死を与える力を持つとされていました。アムブロシアーが固形の食物であるのに対し、ネクタルは芳香を放つ甘美な赤い神酒として描かれます。神々がネクタルを飲むことで、彼らの体内には人間のような血ではなく、イーコール（Ikhor）と呼ばれる特別な霊液が流れていると信じられていました。このイーコールこそが、神々の傷を癒やし、不死を保つ源であるとされました。神々の宴席では、かつては青春の女神ヘーベーが、後にヘーラクレースと結婚してからは美少年ガニュメーデースが、ネクタルを神々の盃に注いで回る役目を担っていました。

神話の世界では、アムブロシアーという名前は神々の食物だけでなく、他の存在を指す場合もあります。例えば、雨を降らせるとされる星団ヒュアデスを構成するニンフたちのうちの一柱に、アムブロシアーという名の者がいました。これは、神話における名前が複数の異なる存在に与えられる例の一つと言えます。

不死性をもたらす神々の糧という概念は、ギリシャ神話に固有のものではありません。東方の神話においても類似の概念が見られます。例えば、インド神話におけるアムリタは、不死性をもたらす神々の飲み物であり、ギリシャ神話のアムブロシアーやネクタルと主題を共有しています。

現代においても、アムブロシアーやネクタルという言葉は、その神話的な響きから様々な形で用いられています。例えば、濃厚な果肉飲料である「ネクター」や、特定の品種の桃である「ネクタリン」といった名称は、これらの神話上の神々の糧に由来するとされています。これは、古代の神話が現代の文化や言葉にも影響を与え続けている興味深い例と言えるでしょう。

アムブロシアーは、単なる食べ物という枠を超え、古代ギリシャ神話における神々の超越性、永遠性、そして彼らを人間と区別する神秘的な力の象徴として、重要な位置を占めています。ネクタルと共に、それはオリュンポスの神々が永遠に栄えるための根源的な要素であったと言えるでしょう。

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