アメン大司祭国家

アメン大司祭国家は、古代エジプトの新王国が終焉を迎える紀元前11世紀頃に、南部の重要都市テーベ（現在のルクソール）を拠点として成立した独自の政治勢力です。紀元前1080年頃から紀元前945年頃にかけて存続したこの国家は、「アメンの神権国家」などとも呼ばれ、その名の通り、テーベのアメン神殿を司る大司祭が統治の頂点に立ちました。

この国家はテーベとその周辺を含む上エジプトを支配しました。歴代のアメン大司祭は、王族だけが使用を許されたカルトゥーシュに自らの名を刻むなど、ファラオと同様の権威を示す行動をとりました。しかし、名目上は下エジプト、特にタニスを都とした同時代の第21王朝の権威も認めており、完全な独立国家というよりは、一種の分権的な体制を形成していたと言えます。

初期には第21王朝と緊張関係も見られましたが、両者の間にはやがて婚姻関係が結ばれ、比較的平穏な並存関係が築かれました。しかし、第21王朝が衰退し、古代リビュア系傭兵の子孫であるシェションク1世が第22王朝を樹立すると、状況は一変します。軍事力を背景とした第22王朝の圧力により、アメン大司祭国家はその統制下に置かれることとなりました。

歴史的背景と成立

アメン神は新王国時代を通じてエジプトの国家神として崇拝され、歴代のファラオはアメン神殿に莫大な富と土地を寄進し続けました。この結果、テーベのアメン神官団は絶大な経済力と影響力を獲得します。新王国の中盤には、この神官団の勢力拡大を警戒した王権による抑制策も試みられましたが、第20王朝末期には再び神殿への寄進が活発化し、アメン神殿はエジプト全土に広範な神殿領を築き、莫大な富を蓄えるに至りました。

アメン神官団が事実上の独立勢力としての性格を強めたのは、特に第20王朝最後の王ラムセス11世の治世末期です。当時、南方のヌビア総督であったパネヘシがテーベを含む上エジプト南部の統治権を拡大していました。その明確な理由は不明ですが、やがてパネヘシは反逆の疑いによって失脚します。

その後、新たなアメン大司祭としてクシュ（上ヌビア）副総督と宰相を兼任していたヘリホルが就任しました。ヘリホルはラムセス11世の姉妹ともいわれるノジメトを妻に迎えており、こうした姻戚関係を背景に権勢を拡大したと考えられています。

アメン大司祭の地位を得たヘリホルは、神官団の経済力を後ろ盾に、第20王朝を無視して独自の年号「ウヘム・メスウト（再生）」を採用しました。さらに、アメン神の神託によってテーベの統治権を得たと主張し、上エジプトを支配する事実上の国家を樹立します。彼は自ら王号を称し、即位名として「アメン第1の預言者」を意味するヘムネチェルテピエンアメンを名乗るなど、完全な王として振る舞いました。

ヘリホルの死後、その娘婿と推定されるピアンキがアメン大司祭職を継承しましたが、彼の治世に関する記録は乏しく、ラムセス11世とほぼ同時期に死去したと考えられています。

第21王朝との並存

ピアンキの死後、息子であるパネジェム1世がアメン大司祭となりました。ほぼ同時期、下エジプトのタニスではスメンデス1世が第21王朝を樹立しています。

パネジェム1世は、自身の名を王名の象徴であるカルトゥーシュに記すなど、王権を行使する姿勢を見せましたが、対外的には第21王朝の王権を認め、その治世年を自らの年代計算に用いました。彼はまた、ラムセス11世の娘の一人ドゥアトハトホル＝ヘヌトタウイを妻とし、王女マートカラーをもうけました。初代ヘリホルもラムセス11世の姉妹（推定）を娶っており、このように第20王朝のラムセス11世を介した姻戚関係が、南北の勢力間に構築されていました。

スメンデス1世の死後、パネジェム1世は政治的な駆け引きを経て、ヘリホルの息子であるアメンエムニスウを第21王朝の王位に就けることに成功します。これは激しい政争を伴ったようで、多くの反対派がエジプトから追放されました。アメンエムニスウは短期間で死去しましたが、既に政治的主導権を握っていたパネジェム1世は、今度は自身の息子であるプスセンネス1世を第21王朝のファラオとしました。

パネジェム1世の別の息子であるマサハルタとメンケペルラーは、アメン大司祭職を継承しました。特にメンケペルラーは、第21王朝のプスセンネス1世の娘イシスエムケブと結婚し、アメン大司祭国家と第21王朝の間には非常に濃密な血縁関係が築かれました。これにより、両者の間には比較的安定した協力体制が維持されることとなりました。

第22王朝下の体制

タニスの第21王朝とテーベのアメン大司祭国家が、緊密な血縁関係の下で並存する体制は、第21王朝の終焉によって転機を迎えます。第21王朝最後の王プスセンネス2世に代わり、古代リビュア系傭兵の家系から出たシェションク1世が第22王朝を創始しました。シェションク1世は強力な軍事力を背景に、アメン大司祭国家に対しても統制を強化し、重要な人事権を掌握します。

シェションク1世は、自身の息子であるイウプトをアメン大司祭に任命しました。これにより、アメン大司祭国家は形式上、第22王朝の直接的な支配下に置かれることとなります。しかし、長年にわたり独自の組織と権力を蓄積してきたアメン神殿および神官団の勢力は健在であり続けました。第22王朝の支配下においても、アメン大司祭職は依然として極めて重要な地位であり、その権力は時に国内の政治的な対立を引き起こす要因ともなりました。

ヘリホル以降、独自の王号とカルトゥーシュを用いたアメン大司祭たちは、上エジプトにおける事実上の君主として振る舞いましたが、その時代は第22王朝による統一的な支配体制の確立によって幕を閉じました。しかし、アメン神殿の権威そのものは、その後も古代エジプト史において重要な役割を果たし続けます。

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