アル＝アーディル

アル＝アーディル：公正なるスルタン

アル＝アーディル（1145年 - 1218年）は、アイユーブ朝の第4代スルタンであり、その治世は1200年から1218年に及びました。兄サラーフッディーンの弟として、その生涯は激動の時代と深く結びついています。彼の名前「アーディル」はアラビア語で「公正なる者」を意味し、イスラム社会における政治指導者の重要な資質とされていました。ヨーロッパでは、兄サラーフッディーンが「サラディン」として知られるのと同様に、彼は「サファディン」とも呼ばれました。

サラーフッディーンの弟として

アル＝アーディルは、兄サラーフッディーンと共に十字軍との戦いで活躍しました。特に、第3回十字軍との和平交渉においては、その手腕を発揮し、リチャード1世との和睦を実現しました。彼は1145年に生まれ、父アイユーブがバールベクの統治を任されていた時期に、この地で生誕した可能性が高いと考えられています。青年期には、叔父シールクーフに従い、エジプト遠征に参加。その後、兄の名代としてエジプトを統治し、1174年にはファーティマ朝残党の反乱を鎮圧しました。

1177年には、サラーフッディーンが艦隊を建造した際、アル＝アーディルは新設の「艦隊庁」の長官に任命されました。また、対十字軍戦争ではエジプト軍を率いてカラク攻撃に合流し、その後アレッポの統治を任されました。しかし、すぐにエジプトで問題が発生したためカイロに戻ることになります。ヒッティーンの戦い後も、兄と共に十字軍との戦いに参加しました。アッカ攻防戦では和平交渉を担当し、リチャード1世との和約を成立させました。

1183年、サラーフッディーンはアレッポを息子のザーヒル・ガーズィーに与えましたが、半年後にはアーディルに統治を任せました。これは、急速に拡大した支配領域を安定化させるための措置と考えられています。しかし、3年後には再びザーヒルにアレッポを返し、アーディルはエジプトに配置されました。アレッポの統治をめぐる混乱は、サラーフッディーンの死後、アーディルとザーヒルの対立の原因となりました。

アイユーブ朝の内紛とスルタン即位

サラーフッディーンの死後、アイユーブ朝では後継者争いが起こりました。アル＝アーディルは巧みにこれに介入し、1200年にスルタンとして即位しました。彼はカラクを保持し、アレッポはザーヒル、エジプトはアズィーズが確保していましたが、ダマスカスのアフダルと組んでエジプトのアズィーズに対抗しました。アズィーズの攻撃を退けた後、彼はエジプトに乗り込み、アズィーズを抱き込み反アフダルに転じます。そして、ダマスカスをアフダルから無血で奪取し、アフダルをサルハドへ追放しました。

1198年にアズィーズが死去すると、エジプトの武将たちの要請でアフダルがエジプトに戻り、アズィーズの子マンスールの後見人として実権を握りました。彼はアレッポのザーヒルと結んでダマスカス攻撃を企てましたが、アル＝アーディルはマールディーン包囲戦を息子に任せ、すぐさま取って返しました。アフダルによる攻撃は失敗し、エジプトを掌握したアル＝アーディルはスルタンとして即位し、アフダルは再び地方へ追放されました。

スルタンとしての統治

1200年、エジプトとダマスカスを押さえ、スルタンとなったアル＝アーディルですが、アレッポは兄の三男ザーヒルの支配下にあり、彼に従っていませんでした。1201年には、ザーヒルがモスルのザンギー朝君主と組み、シリアのアル＝アーディル領を攻撃しようとしました。翌1202年、アル＝アーディルがハマーを攻撃したことで、ようやくザーヒルはアル＝アーディルとの和議に応じ、アイユーブ朝は安定を取り戻しました。

アル＝アーディルはザンギー朝、アルメニア王国、ルーム・セルジューク朝との対抗のため、十字軍国家には比較的融和的な姿勢を取りました。3度の休戦協定を締結し、遵守しました。また、ヴェネツィア共和国やピサ共和国との交易を通じて経済交流を図り、アイユーブ朝の平和と発展に貢献しました。しかし、1218年の第5回十字軍の侵攻により平和は破られ、アル＝アーディルは心労により衰弱し、74歳で死去しました。死後、領土は息子たちに分割され、長男のアル＝カーミルがスルタン位とエジプトを、アル＝ムアッザムがダマスカスを、アル＝アシュラフが北方地域をそれぞれ継承しました。

評価と人物像

イブン・アル＝アシールは、アル＝アーディルを「賢明かつ良識があり、狡知と策略に長け、忍耐強く温和で、艱難辛苦に耐えた」と評しています。また、マクリーズィーは「彼の品行は賞賛に値し、信仰心も篤かった。外交と雑務に長け、経験から学び、物事を成功に導くことができた」と述べています。彼は敵対を避け、策謀と調略を好みました。

アル＝アーディルは、第三回エジプト遠征の際、父から借りた財布を、エジプトの粗悪な貨幣で満たし、その上に金貨を被せて返したという逸話があります。また、兄サラーフッディーンからは非常に信頼され、重要な決定は彼との相談なしには行われなかったと言われています。リチャード1世との和平交渉中には、個人的な親交を深め、リチャードの妹ジョーンとの結婚を提案されたこともありました。彼は大食らいであり、羊を丸ごと一頭食べることができたとされています。狡知に長け、エジプトの平和を守った一方で、晩年は豪勢な生活を送っていたと伝えられています。

アル＝アーディルは、その知略と外交手腕により、アイユーブ朝の安定に大きく貢献した人物として、歴史に名を刻んでいます。

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