アンキノエー

アンキノエー（古希: Ἀγχινόη, Anchinoē）は、古代ギリシャ神話の世界にその名が伝えられる女性、あるいは河川や泉に宿るとされる水のニュムペー（ナーイアス）の一人です。長母音を省略してアンキノエとも表記されることがあります。彼女は、エジプトに関わる重要な系譜に属する存在として知られています。

彼女の父は、エジプトの豊かな大地を潤す大河、ナイル川を神格化した存在である河神ネイロスです。アンキノエーは、この強力な河神の娘として生まれました。また、彼女にはメムピスという名の姉妹がいました。このメムピスも、エジプトの古代都市メムピスの名の由来となったとされる人物であり、彼女たちの出自は、古代エジプトとギリシャ神話の神々や英雄たちの系譜が交錯する点に位置づけられます。

アンキノエーは、エジプトを統治していたとされる王ベーロスと結ばれ、彼との間に複数の子をもうけました。彼女の最も著名な子として挙げられるのは、双生児であるアイギュプトスとダナオスです。この二人の息子は、後に互いに対立し、その子孫が多くの悲劇的な物語の中心となるという、ギリシャ神話の中でも特に有名な一連の出来事の発端となりました。

さらに、悲劇詩人として名高いエウリーピデースの伝える伝承によれば、アンキノエーはケーペウスとピーネウスという息子たちの母でもあるとされています。これらの息子たちもまた、英雄ペルセウスにまつわる神話の中で重要な役割を果たす人物たちです。

なお、ベーロス王の妻については、アンキノエー以外に別の女性であったとする異説も存在します。一説には、フェニキア地方の古代都市シドンの名の由来となったとされる女性、シーデーがベーロスの妻であったと伝えられています。これは、アンキノエーがベーロスの唯一の妻ではなかった可能性、あるいは複数の伝承が存在することを示唆しています。

アンキノエー自身に関する個別の神話や物語はあまり多く伝えられていませんが、彼女が生んだ子孫たちは、ギリシャ神話の歴史において極めて重要な役割を担いました。双生児のアイギュプトスとダナオスの争いは、後にダナオスの娘たち（ダナイデス）の悲劇的な物語へと繋がります。ダナオスは兄アイギュプトスとの対立から、娘たちと共に故郷を離れてアルゴスへと逃れますが、アイギュプトスの息子たちが追跡し、ダナオスの娘たちとの結婚を求めます。ダナオスは娘たちに、結婚初夜に夫となるアイギュプトスの息子たちを殺害するように命じ、娘たちのうちヒュペルムネーストラーを除く49人がその命令を実行しました。この出来事は、神話の中でも特に冷酷で印象的なエピソードとして知られています。

また、エウリーピデースがアンキノエーの子としたケーペウスは、エチオピアの王として登場し、娘アンドロメダーが海の怪物ケトスへの生贄とされる運命に直面した際に、英雄ペルセウスによって救われます。もう一人の息子であるピーネウスは、アンドロメダーの本来の婚約者であり、アンドロメダーをペルセウスに奪われたことに憤慨して戦いを挑みますが、ペルセウスによって石に変えられてしまいます。これらの物語は、アンキノエーが直接関わるものではありませんが、彼女がギリシャ神話の主要な系譜、特にアルゴスの王家やエチオピアの王家に関わる重要な人物たちの母であったことを示しています。

水のニュムペーとしてのアンキノエーの性格は、彼女の父がナイル川の河神であることに由来し、彼女が生命の源である水に関わる神聖な存在であったことを示唆しています。彼女は、エジプトとギリシャという異なる世界の神話を結びつける存在として、また多くの有名な英雄や悲劇的人物たちの祖先として、神話の系譜の中で重要な位置を占めています。

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