アンダ・ゲーザ

アンダ・ゲーザ（Géza Anda、1921年 11月19日 - 1976年 6月14日）は、ハンガリーに生まれ、国際的に活躍したクラシック音楽のピアニストです。第二次世界大戦中にスイスへ移住し、その地を拠点に活動を展開しました。卓越した技巧と深い音楽性により、往年の指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーから「ピアノの吟遊詩人」と称されたことで知られています。

生涯

アンダはブダペストに生まれ、幼少より音楽の才能を示しました。ハンガリーの音楽教育の中心であった王立ブダペスト音楽院に進み、作曲家としても著名なピアニスト、エルネー・ドホナーニに師事しました。その指導のもと、彼の才能は開花し、わずか19歳という若さで、ハンガリー国内で最も権威ある音楽賞の一つであるリスト・フェレンツ賞を受賞し、そのキャリアを華々しくスタートさせました。

第二次世界大戦中は奨学金を得てベルリンで研鑽を積む機会を得ましたが、戦禍の激化を避け、1943年に中立国であったスイスへの亡命を決断しました。以降、スイスは彼の安住の地となり、活動の拠点となりました。1955年にはスイス国籍を取得しています。スイス国内での活動も活発に行い、1960年には、著名なピアニストであるエドウィン・フィッシャーの跡を継ぎ、ルツェルンで開かれるマスタークラスを主宰するなど、後進の指導にもあたっています。しかし、才能溢れるピアニストの生涯は長くなく、1976年 6月14日、ガンにより54歳でその生涯を閉じました。

演奏スタイルとレパートリー

アンダ・ゲーザの演奏は、抑制された表現の中に秘められた情感の深さが特徴でした。彼の演奏を聴いたヴィルヘルム・フルトヴェングラーが「ピアノの吟遊詩人」と評したことは、その詩情豊かな音楽性を的確に表しています。全盛期のアンダは、澄み切った美しい音色、そして驚くほど自然で滑らかな技巧により、当時の音楽界において傑出した演奏家として高く評価されていました。彼の主要なレパートリーは、古典派やロマン派の作品が中心でした。

特に力を注いだのは、同郷の偉大な作曲家ベーラ・バルトークの作品です。指揮者フェレンツ・フリッチャイとのコラボレーションにより、バルトークのピアノ協奏曲全曲を演奏し、歴史的な録音を残しました。これらの録音は、今なおバルトーク演奏の規範の一つとして聴き継がれています。また、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、リスト、ブラームスといったドイツおよび初期ロマン派の作曲家の作品も得意とし、これらの分野でも優れた解釈を示しました。

1950年代後半からは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品に本格的に取り組み始めました。演奏会ではモーツァルトのピアノ協奏曲を力強くも繊細に演奏し、聴衆を魅了しました。中でも特筆すべきは、モーツァルトのピアノ協奏曲全曲の演奏と録音プロジェクトです。ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団カメラータ・アカデミカとの共演による一連の録音は、彼の代表的な業績であり、現在でも高い評価を得ています。中でも、ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467の録音は、1967年のスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』（原題：Elvira Madigan）のサウンドトラックに用いられたことで世界的に有名になり、この協奏曲が「エルヴィラ・マディガン」の愛称で広く知られるきっかけを作りました。これらのモーツァルト録音は、彼の持ち味である透明感のある音色と、楽曲の構造を見通す確かな視点が結実した名演として語り継がれています。

著作

アンダは単に演奏家であるにとどまらず、自身の音楽観を形にするための創作活動も行いました。特に、モーツァルトのいくつかのピアノ協奏曲のために、自ら作曲したカデンツァ（協奏曲において独奏者が技巧を披露する部分）はよく知られています。これらのカデンツァは楽譜として出版されており、彼の音楽解釈や演奏スタイルを理解する上で重要な資料となっています。

逸話

アンダ・ゲーザの音楽に対する真摯で完璧主義的な姿勢を示すエピソードとして、日本の指揮者である外山雄三氏との共演時の出来事が伝えられています。1967年 9月30日、東京文化会館で開催されたNHK交響楽団との演奏会で、アンダはバルトークのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。演奏会が無事終了し、外山氏が帰宅した夜遅く、アンダ本人から電話がかかってきたといいます。アンダは演奏会での自身の演奏、特にバルトークの第2番の第1楽章で犯した些細なミスがどうしても気になり、「明日、もしオーケストラやあなたの都合がつくなら、ぜひもう一度録音し直したい」と切羽詰まった様子で懇願したとのことです。外山氏は、オーケストラのスケジュールやNHK側の都合などから再録音は困難であることを時間をかけて説明し、ようやくアンダを諦めさせたといいます。外山氏は、欧米の演奏家が自身の欠点を他者に語ることは極めて稀であるため、アンダのこの行動は音楽に対する並々ならぬ情熱と自己への厳しさを示す、非常に珍しい例外であったと述懐しています。

後世への影響

アンダ・ゲーザの死後、彼の功績を称え、若手ピアニストの育成と支援を目的とした国際的な音楽コンクールが設立されました。1979年に創設された「コンクール・ゲーザ・アンダ」は、彼の名前を冠し、スイスのチューリッヒで4年ごとに開催されています。このコンクールは、世界中から才能ある若手ピアニストが集まる権威ある登竜門として知られ、多くの著名なピアニストを輩出しています。彼の音楽遺産は、このコンクールを通じて今日まで脈々と受け継がれています。

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