アントン・ディアベリ

1781年 9月6日にザルツブルク近郊のマットゼーで生まれ、1858年 4月7日にウィーンで生涯を閉じたアントン・ディアベリは、ウィーン古典派の時代に活躍した作曲家であり、当時の音楽界において非常に重要な役割を果たした楽譜出版業者でした。イタリア語ではアントーニオ・ディアベッリとも呼ばれます。

生涯とキャリア

ディアベリの音楽の基礎は、作曲家であった父ニコラウスから授けられました。父の本来の姓は「デーモン」でしたが、イタリア風の「ディアベリ」に改めたとされています。幼少期には、マットゼー近郊のミヒャエルボイエルンにあるベネディクト会修道院で聖歌隊に属し、音楽的な訓練を積みました。その後、ザルツブルクのカペルハウスで、有名な作曲家ミヒャエル・ハイドン（フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟）のもとで指導を受けました。

当初、ディアベリはライテンハスラッハ修道院で聖職に就くことを志していましたが、1803年に修道院が世俗化されたことにより、その道を断念せざるを得なくなりました。師であるミヒャエル・ハイドンの勧めもあり、彼は音楽の中心地ウィーンへ移ります。ウィーンでのキャリアは、ピアノとギターの教師として始まりました。

出版事業の成功

音楽教師としての活動を経て、ディアベリは楽譜出版事業に乗り出します。1818年にはピエトロ・カッピと共に楽譜出版社を設立。その後、1824年にはカッピから独立し、自身の出版社を確立しました。

ディアベリの出版社は、特にフランツ・シューベルトの作品を世に広めたことで知られています。1821年からシューベルトの歌曲集の出版を開始し、シューベルトの死後にはその遺作の大部分を精力的に出版しました。しかし、シューベルトの生前には作品の一部しか出版せず、没後の出版も遅れがちであったため、自筆譜の紛失を招いたとされ、シューベルトの友人たちからは、彼の作品を商業的に利用したとして批判を受けることもありました。シューベルト以外にも、ベートーヴェン、カール・チェルニー、ヨーゼフ・ランナーといった当時の著名な作曲家たちの作品も多数出版しています。

ディアベリの出版社はアントン・シュピーナを商業部門の責任者として迎え入れ、事業を大きく拡大。ペンナウアー社、ザウアー&ライスドルフ社、マティアス・アルタリア社といった他の出版社から出版権を獲得し、有力な存在となりました。ディアベリ引退後の1852年には、シュピーナの息子であるカール・アントン・シュピーナに引き継がれ、社名も「C・A・シュピーナ」と改称されました。その後も数度の経営者の変遷を経て、事業は受け継がれていきました。

「ディアベリ変奏曲」の誕生

アントン・ディアベリの名を不朽のものとした最大の功績は、彼が企画したワルツ主題による変奏曲集にあります。1819年、ディアベリは自身が作曲したささやかなワルツ主題に基づき、当時のオーストリアを代表する約50名の作曲家たちに変奏曲の作曲を依頼する、という画期的な企画を立ち上げました。この企画は「愛国芸術家協会 (Vaterländischer Künstlerverein)」の名で楽譜が出版されました。

この呼びかけには、当時若き才能であったフランツ・シューベルト（ピアノ変奏曲 D.718を提出）や、まだ11歳だったフランツ・リスト（処女作となる変奏曲 S.147を提出）、そしてカール・チェルニー（変奏曲全体のコーダを作曲）など、錚々たる顔ぶれが応じました。それぞれの作曲家が個性を発揮した変奏曲が寄せられ、一つのユニークな曲集として結実しました。

しかし、この企画に参加を求められたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、共同作業にはあまり興味を示しませんでした。代わりに、彼はディアベリのワルツ主題に深く着目し、33曲もの壮大な変奏曲を作曲しました。これが後に彼のピアノ作品における最高傑作の一つとされる「ディアベリ変奏曲作品120」です。ベートーヴェンはこの大作を単独で完成させ、1824年にディアベリの出版社から単独で出版されました。ディアベリの企画がなければこの傑作は生まれなかったと言われ、結果的にベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」が、ディアベリ自身の名を音楽史に永遠に刻むことになったのです。

作曲家としての作品

出版業者としての顔が有名ですが、アントン・ディアベリ自身も作曲家として多作でした。オペラ『苦境にあるアダム』、ギター曲、ミサ曲、歌曲など、様々なジャンルの作品を手がけました。しかし、現在彼の作品で広く知られているのは、主に教育目的で書かれたピアノ作品、特にソナチネなどです。特に作品151に収められた4曲のソナチネのうち、第4番を除く3曲が『ソナチネアルバム』第2巻に収録されており、ピアノ学習者にとってはお馴染みの作曲家となっています。他にも作品168の7曲のソナチネや、多数の連弾用作品が残されており、彼の作曲家としての活動は、音楽教育の普及にも貢献しました。

アントン・ディアベリは、自身の創造活動に加え、出版事業を通じて当時の音楽界の発展に貢献し、多くの作曲家たちの作品を後世に伝える上で重要な役割を果たしました。彼の企画した「ディアベリ変奏曲」は、ベートーヴェンという稀代の天才から傑作を引き出す触媒となり、彼の名声はそのことによって揺るぎないものとなりました。

もう一度検索