イグナツ・プライエル

イグナツ・プライエル：古典派の作曲家にして革新的な企業家

イグナツ・ヨゼフ・プライエル（ドイツ語：Ignaz Josef Pleyel, 1757年6月18日 - 1831年11月14日）は、現在のオーストリアにあたる地に生を受けた、古典派音楽を代表する作曲家の一人です。フランスへ移住してからはイニャス・ジョゼフ・プレイェル（フランス語：Ignace Joseph Pleyel）と名乗り、その後の活動は作曲にとどまらず、音楽出版や楽器製造といった事業においても後世に大きな影響を与えました。

生涯と音楽的研鑽

ニーダーエスターライヒ州、ルッパースタールで教師の息子として生まれたプライエルは、若くして音楽の才能を開花させました。一時期ヴァンハルに師事した可能性があるとも言われていますが、確実なのは1772年以降、高名なヨーゼフ・ハイドンの弟子としてアイゼンシュタットで学んだことです。ハイドンはプライエルを優秀な門弟と認め、良好な師弟関係を築きました。当時としては珍しく、エルデーディ伯爵という貴族の後援を得られたことも、彼の音楽家としての研鑽を深める上で大きな助けとなりました。

初期の作品には、人形劇のためのオペラ『Die Fee Urgele』（1776年）などがあり、ウィーンやエステルハージ宮殿で上演されています。また、師であるハイドンのオペラ『火事に遭った家』の序曲の一部を手掛けたことも知られています。あまり知られていませんが、プライエルの最初の職業的地位は、彼を庇護したエルデーディ伯爵の宮廷楽長であったとされます。

イタリアからフランスへ

1780年代初めにはイタリアを訪れ、当地でオペラ作品『Ifigenia in Aulide』の作曲や、ナポリ王からの委嘱に応じた作品を手掛けました。このイタリアでの経験は、その後の彼の音楽に彩りを与えたと考えられます。

1783年、プライエルはフランスのストラスブールへ移住し、自身の名をフランス風に「イニャス」と改めました。ストラスブール大聖堂で副楽長として働き始め、フランチシェク・リヒテルの下で経験を積みました。1789年にリヒテルが死去すると、後任として楽長に昇格します。このストラスブール時代に、地元の絨毯職人の娘フランソワーズ＝ガブリエル・ルフェーヴルと結婚し、4人の子供をもうけて家庭を築きました。

ロンドンでの成功と帰還

1791年、フランス革命の影響で教会での音楽活動が困難になったため、プライエルは新たな活動の場を求めロンドンへ渡ります。ここで彼はヴィルヘルム・クラマーが組織した「プロフェッショナル・コンサート」を率いることになりました。奇しくも同時期に、師であるハイドンがヨハン・ペーター・ザロモンによる演奏会シリーズを主宰しており、二人は興行上のライバルという立場になります。しかし、二人の個人的な信頼関係は揺らぐことなく、良好なままであったと伝えられています。ロンドンでの活動は大成功を収め、経済的にも大きな利益をもたらしたプライエルは、ストラスブールへ戻ると自身の邸宅を購入しました。

1793年に始まったフランスの「恐怖時代」は、多くの人々にとって危険な時期でした。プライエルもまた、自身の忠誠心が疑われる状況に置かれたとされますが、愛国的な音楽作品を作曲することで、こうした危機を巧みに回避したと言われています。

企業家としての飛躍

1795年、プライエルはパリへと居を移します。そして1797年、彼の生涯における新たな、そして極めて重要な事業を立ち上げました。それが音楽出版社「メゾン・プレイエル」です。この出版社は、ハイドンの弦楽四重奏曲全集をはじめ、研究用途にも適したミニチュア・スコア集『音楽叢書(Bibliothèque Musicale)』といった画期的な出版物を世に送り出し、ボッケリーニ、ベートーヴェン、クレメンティなど、およそ4000点もの作品を39年間にわたって出版しました。

出版業で成功を収めたプライエルは、さらに1807年、自らの名を冠したピアノ製造会社「プレイエル」を設立します。彼の先見の明と事業家としての才能は、音楽業界の発展に多大な貢献をすることになります。

晩年と現代への影響

1824年、事業の第一線から身を引き、パリ郊外で隠居生活に入りました。この頃には、自身の古典的な音楽様式が、台頭してきたロマン派音楽によって次第に取って代わられていることを感じていたようです。1831年にその生涯を終え、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。彼の墓は、後に同じ墓地に埋葬されるフレデリック・ショパンの墓の近くにあります。

プライエルのピアノ製造会社は、息子であるカミーユが引き継ぎました。このプレイエル製のピアノは、ショパンが愛用し、「ノン・プルス・ウルトラ（これ以上のものはない）」と絶賛したことでも知られています。近年では、ポール・マクナルティのようなピアノ製作者によって1830年型のプレイエルピアノが復元され、ショパン国際ピリオド楽器コンクールなどで使用されるなど、現代の演奏活動においてもその価値が見直されています。

作品と後世の評価

プライエルは存命中は、現代ではあまり知られていないケルビーニやマイヤベーアなどと同様に、非常に高い名声を得た作曲家でした。一説には、ハイドンの最盛期とベートーヴェンの名声が高まる間の短い期間、ヨーロッパで最も有名な作曲家であったとも言われるほどです。彼の名声はヨーロッパにとどまらず、当時の辺境ともいえるアメリカ合衆国にまで広がり、彼の旋律がシェイプ・ノート賛美歌に取り入れられるほどでした。

師ハイドンに匹敵する多作家であり、41曲の交響曲、70曲以上の弦楽四重奏曲、多数の弦楽五重奏曲やオペラなどを残しました。これらの多くの作品は、ストラスブール時代に書かれていますが、企業家となってからは作曲活動は減少しました。興味深いことに、ブラームスの有名な「ハイドンの主題による変奏曲」の主題は、長らくハイドンの作品とされていましたが、最近の研究では、実際にはプライエルの作品である可能性が示唆されています。

現代において、プライエルはかつてのような絶大な名声は持っていませんが、教育的な作品の作曲家として知られています。特に、ヴァイオリンやフルートの初心者向けの練習曲として、彼の書いた多数の二重奏曲が現在でも教材として広く用いられています。彼の音楽は、その旋律の美しさや構成の巧みさから、現代においても十分に鑑賞に値するものです。

イグナツ・プライエルは、古典派音楽の重要な作曲家であると同時に、音楽出版やピアノ製造といった分野で革新的な事業を展開し、音楽史に多角的な足跡を残した人物と言えるでしょう。

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