イスラエル国防軍軍律

イスラエル国防軍軍律とは

イスラエル国防軍軍律（Israeli Military Order）は、イスラエル国防軍（IDF）が占領下に置いている地域に対して発令する軍事的な法令です。この軍律は、イスラエル軍令、イスラエル軍命令、イスラエル軍法などとも訳されます。国際法上、この軍律は国際連合安全保障理事会決議や国際司法裁判所の見解により無効とされていますが、実際には現在も法的効力を持ち、被占領民であるパレスチナ人に対する一般的な法令として機能しています。

この軍律は、軍事裁判所を設けて被占領民を裁く一方、占領地に住むイスラエル人には、イスラエル本国の法制度が適用されるという二重構造を持ちます。

軍律の歴史的背景

軍律の原型は、イギリス委任統治領パレスチナ時代の1945年に発令された国防（緊急事態）規則に遡ります。1948年にイスラエルが独立宣言した際、この規則が継承されました。この規則には、民間人を裁判する一審制の軍事裁判所の設置、大規模な捜索と押収、書籍や新聞の発禁、家屋の取り壊し、無期限の予防拘禁など、広範な権限が含まれていました。

イギリスはパレスチナからの撤退時に国防（緊急事態）規則を廃止しましたが、イスラエルはこれを「公報で周知されなかった」として廃止を認めず、国内法に組み込みました。1951年には、クネセト（イスラエル議会）がこの規則を民主主義の基本原則に反すると判断しましたが、廃止には至りませんでした。1967年の第三次中東戦争以降、占領地ではこの規則と軍律制度が広く使用されるようになりました。

軍律は、1967年の占領直後に布告された「宣言」（proclamation）と、現在まで継続して布告されている「命令」（order）、「布令」（Declaration）に大別され、その多くは「命令」です。占領統治の組織として、イスラエル国防軍軍政当局が設けられ、イスラエル占領地政府活動調整官組織（COGAT）が行政や地域名望家、諸外国との折衝などを担当しました。

軍律の適用範囲と変遷

第三次中東戦争終結時、軍律はヨルダン川西岸地区（イスラエル側呼称は「ユダヤ・サマリア地区」）、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島に適用されました。東エルサレムはイスラエルが併合を宣言しましたが、国際的には認められていません。これらの占領地では、従来の法律（オスマン帝国法、イギリス法、ヨルダン法、エジプト法、シリア法）に、その都度軍律で上書きする形式が取られました。

シナイ半島は1982年までにエジプトに返還され、ゴラン高原は1981年に併合、ガザ地区からは2005年までに撤退しましたが、国境および周辺海域を封鎖しています。1981年には、行政部門はイスラエル民政局に移譲されましたが、実質的には軍とイスラエル総保安庁の指揮下にあります。

1967年以降、イスラエル人入植者に対しては、国防（緊急事態）規則や新たな命令（1979年の命令783号など）により、イスラエル国内法が適用されるようになりました。さらに2017年には、入植地を合法化する「ユダヤ・サマリア入植地規制法」が可決され、占領地における二重法制度が確立されました。

2024年5月には、命令2195号により、イスラエル民政局の権限が新設の民政局副局長に移譲され、入植者の「民意」をより反映する形での実質的な併合が進められています。

主な軍律の内容

軍律は地域ごとに布告され、内容は同じでも番号が異なったり、同番号に異なる軍律が重複することがあります。

占領統治一般

宣言1号 (1967年6月7日)：ヨルダン川西岸地区を占領し、支配権を掌握したことを宣言。軍事閉鎖地域を宣言し、夜間外出禁止令を課しました。
宣言2号 (6月7日)：地域司令官にすべての行政権、執行権、司法権を付与。軍律と矛盾しない限り、1967年6月7日以前の法律を有効としました。
宣言3号 (6月7日)：治安規定を定め、ジュネーヴ条約と矛盾する場合は、条約の規則を優先するとしました。
命令5号 (6月8日)：ヨルダン川西岸地区を軍事閉鎖地域とし、出入りを規制しました。

財産・土地・建築物

命令25号 (6月18日)：不動産取引を制限。
命令58号 (7月23日)：不在財産（所有者が不在の財産）を管理下に置き、処分を可能にしました。
命令59号 (7月31日)：国有財産（敵国または関係機関の財産）を没収。
命令321号 (1969年3月28日)：公共目的のための土地収用を可能にし、ヨルダンによる土地収用を無効化。
命令1797号 (2018年6月17日)：違法と判断された建築物を即時破壊、または差し押さえを可能にしました。
命令2198号 (2024年7月18日)：自然保護区での建設を制限し、パレスチナ側の行政権を剥奪しました。

入植地

命令432号 (1971年6月1日)：入植地に警備員を配置。
命令783号 (1979年3月25日)：ユダヤ人地域評議会を設立。
命令981号 (1982年4月11日)：ラビ法廷の設置。
命令2137号 (2023年5月18日)：ホメシュ入植地の撤退を撤回。
命令2190号 (2024年5月22日)：カディム入植地、ガニム入植地、サヌル入植地の撤退を撤回。

水・水利権

命令92号 (1967年8月15日)：水利権をイスラエル人担当官が掌握。
命令158号 (11月19日)：水資源の利用を制限。
命令291号 (1968年12月19日)：過去の水利権に関する契約を無効化。

通貨・金融

命令7号 (1967年6月8日)：銀行を閉鎖し、貨幣取引を禁止。
命令76号 (7月31日)：イスラエル・リラを法定通貨とする。
命令952号 (1982年1月20日)：外貨両替を制限。

商業

命令128号 (9月27日)：店舗営業を規制。営業許可だけでなく、休業も許可制としました。

農業

命令47号 (1967年7月9日)：農産物の輸送を制限。
命令1015号 (1982年8月27日)：果物の植樹を制限。

政治活動・結社・出版・言論・表現の自由

命令50号 (1967年7月11日)：新聞の頒布を制限。
命令101号 (8月27日)：集会、デモ、政治的活動を制限。パレスチナ国旗の掲揚を禁止。

移動の自由

命令13号 (1967年6月11日)：航空機の使用を制限。
命令1576号 (2005年12月15日)：パレスチナ人のイスラエル人専用道路の通行を禁止。
命令1665号 (2010年11月14日)：検問所を設置し、移動を規制。（時限命令を繰り返し延長）

刑法・軍事裁判所

命令3号 (1967年6月7日)：軍事法廷の設置。
命令378号 (1970年4月20日)：軍事裁判所の権限を拡大。一審制とし、上訴を不可能としました。
命令1651号 (2009年11月1日)：安全条項を統合。行政拘禁を認可。

軍律の執行状況

パレスチナ人（非イスラエル人）は軍事裁判所で裁かれます。イスラエル国防軍は、国際法の原則に基づき、公平・公正な法的手続を保証していると主張していますが、有罪判決率は非常に高く、国際人権団体から批判されています。

一方、占領地に住むイスラエル人（入植者など）は、イスラエルの民事裁判所で裁かれます。イスラエル人による犯罪の起訴率は低く、有罪判決率も低い傾向にあります。このため、パレスチナ人はイスラエルの司法制度を信用していない現状があります。

軍律の法的根拠

イスラエルは、軍律の法的根拠としてハーグ陸戦条約第43条を挙げています。しかし、ジュネーヴ第四条約については、当初は適用を認めていたものの、後に被占領民の保護義務を否定し、自らの行動を正当化しています。

軍律への評価と批判

一部には、初期の軍政を「寛容な占領」と評価する声もありますが、国際連合安全保障理事会や国際司法裁判所は、軍律を無効と判断しています。

国際人権団体は、軍律がパレスチナ人の人権を侵害していると批判しています。特に、行政拘禁、土地収用、集会や表現の自由の制限、水資源の制限などが問題視されています。さらに、イスラエル人に対する法の優遇措置は、アパルトヘイトであるという批判もあります。

終わりに

イスラエル国防軍軍律は、占領地におけるパレスチナ人の生活に大きな影響を与えています。国際的な批判にもかかわらず、イスラエルは軍律を継続しており、パレスチナ問題の解決を複雑にする要因の一つとなっています。

軍律は、その複雑な歴史的背景と法的解釈、そしてその実行における実態を詳細に理解することが、この問題の本質を理解する上で不可欠です。

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