エドワード・ヒンクス
アイルランド出身の聖職者でありながら、19世紀の東洋学界に大きな足跡を残した人物、エドワード・ヒンクス（1792年8月19日 - 1866年12月3日）。彼は、ヘンリー・ローリンソンやジュール・オッペールといった碩学たちと共に、今日アッシリア学として知られる学問分野の黎明期を支え、特に古代メソポタミア文明で使用された楔形文字の解読において極めて重要な役割を果たした。その研究は、複雑な古代文字体系の理解に画期的な光をもたらしたのである。
ヒンクスは、やはり聖職者であったトーマス・ディクス・ヒンクスの息子として、アイルランド南部のコークで生を受けた。若くして学才を発揮し、国内最高学府の一つであるダブリン大学トリニティ・カレッジに進学、1811年に優秀な成績で卒業した。その後、父の跡を継ぐように聖職者としての道を歩み、1825年には北アイルランドのダウン県キリレイにある教会の主任牧師に任命された。彼はその職務を誠実に務める傍ら、没するまでの生涯にわたり学術研究への情熱を燃やし続けた。ヒンクスはアイルランドの主要な学術団体であった王立アイルランド学会の会員であり、その研究成果の多くは、同学会が発行する学術誌『Transactions of the Royal Irish Academy』に発表された。静かな田舎の牧師館が、古代オリエント世界の謎を解き明かす研究室でもあったのである。
ヒンクスの学術的キャリアは、まず、当時ようやく解読の糸口が見つかり始めたエジプトのヒエログリフの研究から始まった。彼はヒエログリフの体系を深く分析し、この文字が子音は表記するものの、原則として母音を表現しない文字であることを明確にした。この洞察は、他の古代文字体系の解読にも示唆を与えるものであった。
しかし、ヒンクスの最大の貢献は、1840年代半ば頃から集中的に取り組んだ古代ペルシアやメソポタミアの楔形文字の解読分野にある。楔形文字は、文字の形態や使用された地域・時代によって多様であったが、ヒンクスは特にアッカド語で用いられた楔形文字の仕組みの解明に力を注いだ。1847年には、この文字体系が単に一つの記号が一つの単語や概念を表す表語文字（ロゴグラム）であるだけでなく、音節を表す音節文字（シラブル）も同時に使用されているという画期的な事実を指摘した。これは、それまでの研究者が楔形文字を主にアルファベットや表語文字として捉えがちであった中で、その複雑でハイブリッドな性質を見抜いた重要な発見であった。
さらに彼は、ヒエログリフにおける決定詞（限定符）のような役割を持つ符号が、楔形文字にも存在することを明らかにした。これらの符号は、単語が属するカテゴリー（例えば人名、地名、神名など）を示すことで、同音異義語や多義的な文字の解釈を助ける機能を持っていた。
ヒンクスの粘り強い研究は続き、1855年には、約252種類もの楔形文字の音価を確定することに成功したと報告した。同時に、一つの楔形文字記号が文脈によって複数の異なる音で読まれる（多音価性）という、この文字体系のもう一つの重要な特徴をも指摘した。これらの発見は、楔形文字で書かれた膨大な量の文書を読むための基礎を築くものであった。
楔形文字の起源についても、ヒンクスは独自の考察を展開した。彼は、アッカド語のようなセム語派の言語のために楔形文字が創造されたのではなく、本来は別の言語、おそらくインド・ヨーロッパ語族に属する言語を表記するために考案された文字体系が、後にセム語派の言語に借用されたのではないかと考えた。この「楔形文字を最初に作った未知の民族」という彼の着想は、その後の学術的な探求を促し、ヒンクスが没した数年後の1869年にジュール・オッペールによって、この民族がシュメール人であると特定されるきっかけの一つとなったのである。
メソポタミアの主要な文字体系だけでなく、ヒンクスは他の地域の古代文字にもその解読能力を発揮した。特に、現在のトルコ東部、ヴァン湖周辺で発見された古代王国の碑文に使われているウラルトゥ語の楔形文字碑文の解読に取り組んだ論文は知られている（1847年）。ただし、この言語自体を彼は誤ってインド・ヨーロッパ語族と考えていた。また、古代ペルシア帝国で使用されたエラム語の楔形文字解読においても重要な貢献を行っている（1846年）。
エドワード・ヒンクスは、牧師という本業を持ちながらも、古代オリエント学、特に楔形文字解読の分野で多大な功績を残した孤高の学者である。彼の楔形文字の構造に関する洞察、特に表語・音節併用や限定符、多音価性の発見は、その後の楔形文字研究の進展に不可欠な基礎を提供した。彼は単に文字を解読するだけでなく、文字体系そのものの原理や歴史的発展にも深い関心を寄せた先駆者であり、アッシリア学の創始者の一人として、その名前は今も高く評価されている。彼の生涯にわたる研究は、書かれた古代文明の歴史を読み解く扉を大きく開いたのである。
ヒンクスは、やはり聖職者であったトーマス・ディクス・ヒンクスの息子として、アイルランド南部のコークで生を受けた。若くして学才を発揮し、国内最高学府の一つであるダブリン大学トリニティ・カレッジに進学、1811年に優秀な成績で卒業した。その後、父の跡を継ぐように聖職者としての道を歩み、1825年には北アイルランドのダウン県キリレイにある教会の主任牧師に任命された。彼はその職務を誠実に務める傍ら、没するまでの生涯にわたり学術研究への情熱を燃やし続けた。ヒンクスはアイルランドの主要な学術団体であった王立アイルランド学会の会員であり、その研究成果の多くは、同学会が発行する学術誌『Transactions of the Royal Irish Academy』に発表された。静かな田舎の牧師館が、古代オリエント世界の謎を解き明かす研究室でもあったのである。
ヒンクスの学術的キャリアは、まず、当時ようやく解読の糸口が見つかり始めたエジプトのヒエログリフの研究から始まった。彼はヒエログリフの体系を深く分析し、この文字が子音は表記するものの、原則として母音を表現しない文字であることを明確にした。この洞察は、他の古代文字体系の解読にも示唆を与えるものであった。
しかし、ヒンクスの最大の貢献は、1840年代半ば頃から集中的に取り組んだ古代ペルシアやメソポタミアの楔形文字の解読分野にある。楔形文字は、文字の形態や使用された地域・時代によって多様であったが、ヒンクスは特にアッカド語で用いられた楔形文字の仕組みの解明に力を注いだ。1847年には、この文字体系が単に一つの記号が一つの単語や概念を表す表語文字（ロゴグラム）であるだけでなく、音節を表す音節文字（シラブル）も同時に使用されているという画期的な事実を指摘した。これは、それまでの研究者が楔形文字を主にアルファベットや表語文字として捉えがちであった中で、その複雑でハイブリッドな性質を見抜いた重要な発見であった。
さらに彼は、ヒエログリフにおける決定詞（限定符）のような役割を持つ符号が、楔形文字にも存在することを明らかにした。これらの符号は、単語が属するカテゴリー（例えば人名、地名、神名など）を示すことで、同音異義語や多義的な文字の解釈を助ける機能を持っていた。
ヒンクスの粘り強い研究は続き、1855年には、約252種類もの楔形文字の音価を確定することに成功したと報告した。同時に、一つの楔形文字記号が文脈によって複数の異なる音で読まれる（多音価性）という、この文字体系のもう一つの重要な特徴をも指摘した。これらの発見は、楔形文字で書かれた膨大な量の文書を読むための基礎を築くものであった。
楔形文字の起源についても、ヒンクスは独自の考察を展開した。彼は、アッカド語のようなセム語派の言語のために楔形文字が創造されたのではなく、本来は別の言語、おそらくインド・ヨーロッパ語族に属する言語を表記するために考案された文字体系が、後にセム語派の言語に借用されたのではないかと考えた。この「楔形文字を最初に作った未知の民族」という彼の着想は、その後の学術的な探求を促し、ヒンクスが没した数年後の1869年にジュール・オッペールによって、この民族がシュメール人であると特定されるきっかけの一つとなったのである。
メソポタミアの主要な文字体系だけでなく、ヒンクスは他の地域の古代文字にもその解読能力を発揮した。特に、現在のトルコ東部、ヴァン湖周辺で発見された古代王国の碑文に使われているウラルトゥ語の楔形文字碑文の解読に取り組んだ論文は知られている（1847年）。ただし、この言語自体を彼は誤ってインド・ヨーロッパ語族と考えていた。また、古代ペルシア帝国で使用されたエラム語の楔形文字解読においても重要な貢献を行っている（1846年）。
エドワード・ヒンクスは、牧師という本業を持ちながらも、古代オリエント学、特に楔形文字解読の分野で多大な功績を残した孤高の学者である。彼の楔形文字の構造に関する洞察、特に表語・音節併用や限定符、多音価性の発見は、その後の楔形文字研究の進展に不可欠な基礎を提供した。彼は単に文字を解読するだけでなく、文字体系そのものの原理や歴史的発展にも深い関心を寄せた先駆者であり、アッシリア学の創始者の一人として、その名前は今も高く評価されている。彼の生涯にわたる研究は、書かれた古代文明の歴史を読み解く扉を大きく開いたのである。
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