カーディー

カーディーとは

カーディー（قاضي, qāḍī）は、イスラーム世界における裁判官を指します。イスラーム政権の統治者から権限を委譲され、シャリーア（イスラーム法）に基づいて裁判などの法的裁定を行うことを職務とします。

概要

カーディーは、イスラム法に関わるあらゆる法律問題に対して司法権を持ちます。刑事・民事の区別なく、イスラム教徒の正当な権利（ハック）を守り、個人（特に社会的弱者）の権利を保護することが主な任務です。また、ワクフ（宗教的寄進財）の監督や、カーディーの下で働く下級職員の指揮監督も行います。

カーディーは、シャリーアに従って裁決する義務があり、ムフティーが発行するファトワーや、イスラーム法学者であるファキーフによる合意（イジュマー）と類推（キヤース）に基づいて判決を下します。カーディーの判決は絶対的なものとされ、誤りが認められた場合にのみ訂正されます。また、カーディーは政治権力から独立しており、イスラム法に基づいて裁決する際には独立した権限を持ちます。

カーディーには、宗教学に精通し、コーランやスンナなどのイスラム法の法源、ファトワー、イジュマー、キヤースについて深い知識を持つ者が選ばれます。知性（アクル）や公正（アダーラ）も重要な要素です。ただし、ファトワーやイジュマー、キヤースの内容はスンナ派とシーア派で大きく異なるため、カーディーも宗派ごとに異なります。国によっては、スンナ派とシーア派で別々のカーディーと裁判所が存在することもあります。

カーディーの有資格者は、法源や類推から独自の見解を導き出せるムジュタヒドと、ムジュタヒドの考えに従って任務を果たすムカッリドに分けられます。しかし、現代ではスンニ派の4つの法学派（シャーフィイー、ハナフィー、マーリク、ハンバル）は、それぞれの学祖を最後のムジュタヒドとみなし、それ以降のムジュタヒドの存在を否定しているため、現代のカーディーはムカッリドのみとされています。

支配者は、地域内にカーディーを置く義務があり、有資格者がいるにもかかわらずカーディーを空席にすることは許されません。一方、有資格者には辞退する権利がありますが、同じ地域内に他に資格を持つ者がいない場合は辞退できません。

カーディーは、イスラム法に関する問題のみを扱い、普通法（欧米法）の問題は扱いません。そのため、司法が世俗化し、普通裁判とシャーリア裁判が複合化した国では、普通の裁判官はカーディーとは呼ばれません。マレーシアやブルネイなどでは、イスラム教教義関連の問題を扱うシャリーア裁判官のみをカーディーと呼び、普通の裁判官と区別します。また、イスラム教教義関連の問題を専門に扱う裁判所をカーディー裁判所と呼ぶこともあります。

シャリーアはムスリムにのみ適用されるため、カーディー裁判では、被告または原告のどちらかがムスリムでなければ訴状を受理しません。また、シャリーアに規定のない法律問題は扱わないため、著作権や特許などの問題は、ムスリム同士であっても普通裁判で争うことになります。サウジアラビアでは、これらの問題は裁判所ではなく、所轄省庁の監視委員会が処理します。

歴史

カーディーの起源は、ムハンマドの時代にまで遡ります。アッバース朝時代には全国に裁判所が設置され、ハールーン・アッ＝ラシードはハナフィー学派の学者であるアブー・ユースフを大カーディー（カーディー・アルクダート）に任命しました。当初はカリフがカーディーを任命していましたが、イスラム国家が分裂すると、各地の支配者が任命するようになりました。マムルーク朝のバイバルスは、各都市に4つのマズハブそれぞれのカーディーを置くことを許可しました。11世紀には各地にマドラサが建設され、イスラム法学を教え、カーディーを育成する仕組みが整いました。

地域によって支持されるマズハブが異なり、4学派は対等でありながらも影響力の強弱がありました。また、イブン＝バットゥータやイブン＝ハルドゥーンのように、法学者や文人として名声があるカーディーは、国を越えて任命されることもありました。

オスマン朝では、ニュラーゼメト制という制度が導入され、イスタンブールのシャイフ・アル＝イスラームが主要都市にカーディーを任命し、軍人法官（カザスケル）が地方に任命するようになりました。オスマン朝のカーディーは、裁判だけでなく徴税などの行政分野にも関わるようになり、不正が横行するようになりました。19世紀以降、西洋の影響で制定法が導入されると、カーディーの地位は低下していきました。

カーディー裁判の問題点

カーディー裁判では、イスラム教における棄教の問題が深刻化しています。イスラム教から他宗教への改宗は、多くのイスラム教国でカーディー裁判でしか処理できず、シャリーアでは改宗を認めないため、死刑を含む重い刑罰が科されることがあります。マレーシアやエジプトなど、通常の法制度と複合的な法律制度を持つ国では、カーディー裁判の改宗に関する管轄権について議論が絶えません。

現代のカーディー

現代のカーディー裁判所の状況は国によって異なり、全ての法的判決の権利を持ち、死刑判決の決定権を持つ国もあれば、権限が大きく制限されている国もあります。

サウジアラビア: 現代でもシャリーアに基づく宗教裁判が行われています。カーディーは宗教学部の卒業生が就く職業であり、法学部卒の者は弁護士などの専門職に就きます。2009年からは、宗教裁判以外の裁判を行う普通裁判所も設置されています。

ブルネイ: 現代でもイスラム教教義関連の問題はカーディー裁判所で扱われます。

エジプト: シャリーアと世俗法の複合型法律制度を採用しており、現代でもカーディー裁判が行われています。

パキスタン: 普通法廷とシャリーア法廷の二重法律制度が行われており、カーディー裁判も存在します。

マレーシア: 各州でシャリーアに基づく法令を整備することが認められており、イスラム教徒はカーディー裁判で裁かれます。ただし、現代ではあまり厳しくは取り締まられなくなっています。

インドネシア: 各州でシャリーアに基づく法令を整備することが認められており、アチェ州では特に厳しいイスラム法が施行されています。

アフガニスタン: 現代でもシャリーアに基づく宗教裁判が行われており、カーディーが裁判を行っています。

参考文献

前嶋信次「カーディ」（『アジア歴史事典 2』平凡社、1984年）
三浦徹「カーディ」（『歴史学事典 9 法と秩序』弘文堂、2002年） ISBN 978-4-335-21039-6

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