コンテスタブル市場

コンテスタブル市場（Contestable market）とは、実際に市場で活動している企業数が少なく、独占や寡占のような形態であっても、潜在的な新規参入の可能性が常に存在することで、結果としてまるで完全競争市場であるかのような競争的な状態が維持されるという経済学の概念です。この考え方は、1982年に経済学者ウィリアム・ボーモル（William Baumol）によって提唱された「コンテスタビリティ理論」の中心をなすものです。「Contestable」という言葉は、文字通り「競争可能な」「論争の余地がある」といった意味を持ち、ここでは市場が競争に開かれている性質を示しています。

概要

コンテスタブル市場が成立するためには、いくつかの重要な条件が満たされている必要があります。これらの条件が揃うことで、潜在的な競争相手が常に市場を監視し、既存企業が高い利益を上げようとするとすぐに参入する準備ができています。主な特徴として、以下の三点が挙げられます。

1. 参入および退出の障壁が存在しない（あるいは極めて低い）：市場への新規参入や、事業からの撤退に際して、法的な規制、高額な初期投資、既存企業のブランド力など、競争を妨げるような要因がほとんど存在しないことを意味します。
2. サンクコスト（埋没費用）がゼロである：サンクコストとは、特定の事業のために支出され、その事業から撤退する際に他に転用したり売却したりしても回収できない費用のことです。例えば、特定の産業に特化した設備投資などがこれにあたります。サンクコストが高いほど、参入に失敗した際のリスクが大きくなるため、新規参入の妨げとなります。コンテスタブル市場では、このような回収不能な費用が存在しないと仮定されます。
3. 新規参入企業と既存企業が同じ生産技術を利用できる：市場で競争する全ての企業が、同等の効率性で生産を行うための技術やノウハウにアクセスできることを意味します。これにより、特定の企業だけが著しく低いコストで生産し、価格競争で優位に立つことがなくなります。

これらの特徴が揃うことで、市場に存在する企業の数が少なくても、常に新規参入の脅威が「競争の規律」として働き、既存企業に競争的な行動を促します。

市場のダイナミクス

コンテスタブル市場では、既存企業が消費者を搾取するような高い価格を設定して超過利潤を得ようとすると、その利益機会に目をつけた潜在的な新規参入企業が、すぐに市場に参入してきます。新規参入企業は、既存企業よりわずかに低い価格で製品やサービスを提供することで、顧客を奪おうとします。競争の激化により、既存企業は価格を引き下げざるを得なくなり、最終的には価格が製品やサービスを提供する平均費用に等しい水準まで低下すると考えられます。価格が平均費用に等しくなれば、超過利潤は消滅し、新規参入のインセンティブは失われます。すると、参入してきた企業は利益が見込めなくなるため、コストをかけずに市場から撤退します。このように、コンテスタブル市場では、たとえ市場に企業が一社しか存在しない独占状態であっても、新規参入の可能性という「ヒット・アンド・ラン」（参入して利益を得てすぐに撤退する）の脅威によって、価格や生産量はあたかも完全競争市場のように効率的な水準に誘導される傾向があります。

この理論が示唆するのは、市場の競争度を判断する際に、現在活動している企業の数（市場構造）だけでなく、どれだけ容易に新規参入が可能かという潜在的な競争の可能性が重要である、という点です。

応用と議論

コンテスタビリティ理論は、特に独占や寡占が見られる産業における政府規制のあり方について議論を巻き起こしました。もし市場が十分にコンテスタブルであるならば、既存企業は潜在的な新規参入を恐れて競争的な行動をとるため、政府による価格規制や参入規制といった独占禁止法に基づく介入は不要である、あるいは限定的で良いという主張の根拠とされることがあります。ボーモル自身は、産業ごとにコンテスタビリティの度合いを評価し、規制の緩和や強化を適切に組み合わせるべきだと示唆しています。

しかし、コンテスタビリティ理論の現実世界への適用性については、多くの議論があります。現実の市場で、参入障壁やサンクコストが完全にゼロであるという理想的な条件を満たすことは非常に稀です。大規模な設備投資が必要な産業（例：航空、鉄道、電力、通信インフラ）や、高度な技術やブランド力が重要な産業では、参入障壁やサンクコストが大きな意味を持ちます。例えば、格安航空会社は、航空機をリースするなどしてサンクコストを抑え、比較的参入しやすい例として挙げられることがありますが、それでも航空業界全体の寡占化が進んでいる現状を見ると、コンテスタビリティ理論だけで現実の競争状態を完全に説明することは難しいという見方もあります。

政策的含意

コンテスタビリティ理論の視点に立つと、消費者の厚生を最大化するためには、政府が市場の価格や参入を直接的に規制するよりも、市場そのものがコンテスタブルな状態になるように環境を整備することがより重要である、という政策的な含意が導かれます。具体的には、不必要な法規制を撤廃して参入・退出の障壁を取り除く、企業が事業から撤退する際のリスク（サンクコスト）を低減するための施策を講じる、そして業界全体で技術や情報を公平に共有されるように促進するといった政策が有効であると考えられます。

コンテスタブル市場