ジローラモ・クレシェンティーニ

ジローラモ・クレシェンティーニ（Girolamo Crescentini, 1762年2月2日 - 1846年4月24日）は、18世紀後半から19世紀にかけてイタリアで活躍した、傑出したソプラノ・カストラート歌手であり、後年は高名な音楽教育者としても知られています。特に、19世紀の著名な音楽学者であるフランソワ＝ジョゼフ・フェティスは、彼の音楽家事典において「イタリアが最後に生んだ偉大な歌い手」と最大限の賛辞を送り、その歴史的な重要性を強調しました。

生涯とキャリア

クレシェンティーニはイタリア中部の都市、ウルバーニアに生を受けました。声楽教育はボローニャで、高名な教師ロレンツォ・ジベッリのもとで受けました。舞台でのキャリアは、当初はオペラにおける女性役で始まりましたが、その類まれな才能が認められるにつれて、男性主役である「プリモ・ウォーモ」として主要な役を担うようになりました。

彼はキャリアの初期からイタリア各地の重要な劇場で歌いました。1786年にはミラノのスカラ座、1787年から1789年にかけてはナポリのサン・カルロ劇場といった、当時のオペラ界の中心地で成功を収めました。一方で、1785年のロンドン公演は、期待されたほどの評価を得られず、彼にとっては必ずしも順風満帆なスタートではなかったことを示しています。

オペラ作品への貢献

クレシェンティーニは、当時の主要な作曲家たちからもその歌唱力と表現力を高く評価されていました。特にドメニコ・ジンガレッリは、彼の声のために幾つかの重要な役を作曲しました。1793年のオペラ『アペッレとカンパスペ』のアペッレ役、そして1796年のオペラ『ジュリエッタとロメオ』のロメオ役は、いずれもクレシェンティーニが歌うことを前提として書かれています。『ジュリエッタとロメオ』は彼の代表的な当たり役となり、この作品の中で歌われるアリア「Ombra adorata aspetta」は、クレシェンティーニ自身が自らのために作曲したことで知られています。さらに、ドメニコ・チマローザが1796年に発表したオペラ『オラツィオ家とクリアツィオ家』におけるクリアツィオ役も、彼のために特別に用意された役柄でした。

国際的な名声とナポレオンとの関係

イタリアでの成功を経て、クレシェンティーニの名声はヨーロッパ各地に広がり、国際的な活動を展開しました。1797年にはウィーンで、続いて4年間はリスボンで精力的に歌いました。1804年には再びウィーンで公演を行い、大きな成功を収めます。

翌1805年、ウィーンに入城したフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトは、クレシェンティーニの歌声に深く魅了されました。ナポレオンは彼をパリへと招き、宮廷歌手として迎え入れただけでなく、皇族たちの声楽教師という重要な役目も与えました。ナポレオンはクレシェンティーニの芸術を非常に高く評価し、彼に鉄冠勲章を授与するほどの厚遇を与えました。

1809年には、テュイルリー宮殿で行われたケルビーニのオペラ『ピンマリオーネ』（哲学者ルソーのメロドラマに基づく）の上演で、タイトルロールのピンマリオーネを演じました。この時のガラテア役は、ナポレオンの愛人でもあった著名な歌姫ジュゼッピーナ・グラッシーニが務め、大きな話題となりました。

カストラート時代の終焉と教育者として

クレシェンティーニが活躍したこの時代は、カストラートという特殊な声を持つ歌手たちが、社会的な倫理観の変化や声楽様式の変化により、急速に衰退しつつある時期でした。興味深いことに、ナポレオン自身は1806年に去勢手術を禁止する勅令を出し、カストラートという存在を法的に追放する役割を果たした人物でした。それにもかかわらず、彼はクレシェンティーニに対しては例外的な措置を取り、破格の年俸3万フランを与えて宮廷に留め置きました。これは、時代の流れに逆らってでも、彼がいかにクレシェンティーニの芸術を尊重していたかを示す証左と言えるでしょう。

1812年、クレシェンティーニはイタリアへと帰国しました。以降、彼は公の舞台で歌うことはほとんどなくなり、後進の指導に情熱を注ぐようになります。彼はボローニャ音楽院を経て、ナポリ音楽院で声楽の主任教授を務め、多くの若い才能を育成しました。1811年には、パリ音楽院での教育経験を基にした声楽教本『ヴォカリッツォのための歌唱練習曲集』を出版しており、彼の指導理念は現在も確認することができます。

彼は音楽教育者としてナポリに居を構え、1846年に84歳の生涯を閉じました。ジローラモ・クレシェンティーニは、カストラート歌手としての最後の栄光を担い、その衰退期にあってもなお最高峰の芸術を保ち続けた稀有な存在です。彼の功績は、イタリア声楽の歴史に深く刻まれています。

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