カストラート

カストラート：失われた美声の軌跡

カストラート（イタリア語: castrato）とは、近代以前のヨーロッパで活躍した、去勢された男性歌手のことです。少年期に去勢手術を受けることで、男性ホルモンの影響を抑制し、変声期による声質の変化を防ぎました。これにより、少年時代の高い音域と、成人男性の豊かな声量、そして独特の美しさを持つ歌声が実現しました。

カストラートの誕生と特徴

カストラートは、主に教会音楽の分野で活躍しました。当時、教会では女性が歌うことが禁じられていたため、高音域の歌声を担う存在として、カストラートが重用されたのです。また、オペラの発展とともに、その活躍の場を広げ、17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ各地で絶大な人気を博しました。

カストラートの声は、美しく甘く、官能的であると形容されます。去勢によって声帯の成長が抑制される一方、成長ホルモンの分泌は保たれるため、身長や胸郭は通常通り成長します。これにより、少年のような高い音域と、成人男性のような豊かな声量、そして独特の響きが生まれるのです。感情が不安定になる傾向がある一方で、それが歌唱表現に深みを与えるという説もあります。

カストラートには、音域によってソプラノ、メゾソプラノ、アルトなどの種類がありました。現代では、人道的な理由からカストラートは存在しません。そのため、当時のオペラなどを再現する際には、女性歌手やボーイソプラノ、カウンターテナーなどが代役を務めます。しかし、それぞれの声質や声量には限界があり、カストラートの歌声を完全に再現することは不可能とされています。

カストラートの歴史

カストラートの起源は、16世紀のローマに遡ると言われています。教会音楽からオペラへと活躍の場を広げ、17世紀から18世紀にかけて最盛期を迎えました。ナポレオンによる禁止令が出された時期もありましたが、その人気は衰えることなく、オペラ界の中心的な存在として君臨し続けました。

しかし、19世紀に入ると、人道的な観点からカストラートに対する批判が高まりました。1878年には、ローマ教皇レオ13世がカストラートを禁止し、その歴史に終止符が打たれました。

記録に残る最後のカストラート歌手は、1922年に死去したアレッサンドロ・モレスキです。彼の歌声は、20世紀初頭に録音されており、現在でも聴くことができます。

カストラートの育成

カストラートは、イタリアの音楽院で専門的な教育を受けました。音楽院は、孤児院を母体とするものが多く、孤児たちに聖歌を歌わせるアルバイトをさせていたことが、音楽教育機関の設立につながったと考えられています。音楽院での生活は厳しく、食事も満足に与えられないなど、過酷な環境だったようです。カストラート候補生は、他の学生よりも優遇されていましたが、いじめも横行し、脱走する者も少なくなかったと言われています。

カストラート候補生は、学生時代から様々なアルバイトをさせられていました。中でも有名なのは、子供の葬儀で天使の役として歌を歌う「少天使」です。音楽院は、これらのアルバイトを収入源として、次第にその数を増やしていきました。

カストラートと他の声楽形式との違い

カストラートと混同されやすい声楽形式として、ボーイソプラノ、カウンターテナー、ソプラニスタなどがあります。

ボーイソプラノ: 変声期前の少年が歌う形式。カストラートと異なり、去勢手術は行われません。現在では、変声期前の少女が歌うこともあります。
カウンターテナー: 変声期後の男性が、裏声（ファルセット）を使って女性のような高音域を歌う形式。
ソプラニスタ: カウンターテナーの一種で、特に高い音域を歌う歌手のこと。稀に、地声でソプラノ音域を出す男性も存在します。

これらの声楽形式は、それぞれ独自の特徴を持っていますが、カストラートのような独特の声質や声量は再現できません。

カストラート関連作品

カストラートを題材とした作品は、小説、映画、音楽など、様々な分野で存在します。

音楽: ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオペラ「セルセ」のアリア「オンブラ・マイ・フ」、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのモテット「エクスルターテ・ユビラーテ」など、カストラートのために作曲された楽曲は数多くあります。
小説: アン・ライス著「トニオ、天使の歌声」、高野史緒著「カント・アンジェリコ」、高樹のぶ子著「ナポリ魔の風」など、カストラートの生涯や音楽を描いた作品が多数あります。
映画: 「カストラート」（1994年、フランス・イタリア・ベルギー合作）など、カストラートを主人公とした映画も制作されています。

カストラートは、その特異な存在ゆえに、様々な物語や芸術作品のインスピレーションの源となってきました。その美しくも哀しい歌声は、今もなお、多くの人々を魅了し続けています。

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