ソクラテスの思い出

ソクラテスの思い出：クセノポンの追想録

『ソクラテスの思い出』(Ἀπομνημονεύματα, Memorabilia)は、クセノポンがソクラテスの死後に著した回想録です。ソクラテス自身の言葉や行動を記録したもので、彼の哲学思想を理解する上で極めて重要な一次史料とされています。同時代の他のソクラテス関連文献と比べても、ソクラテスの生涯と哲学活動に関する記述が最も詳細で、その長大な内容は、後世の研究者たちに多大な影響を与えました。

成立と執筆環境

紀元前399年、ソクラテスが死刑を宣告された時、クセノポンは遠征の最中でした。『アナバシス』で知られるように、彼は将軍として傭兵隊を率いていました。後にスパルタ王アゲシラオス2世の庇護を受け、紀元前394年にはコロネイアの戦いに参加しますが、親スパルタ派の姿勢からアテナイを追放されます。その後、スキルスの荘園を与えられ、そこで執筆活動に専念し、本書を紀元前385年頃に完成させたと言われています。アレクサンドリアの学者らによって、本書は4巻構成に整理され、章節が付け加えられました。

構成と内容

本書は全4巻で構成され、それぞれの巻は複数の章から成り立っています。

第1巻は、ソクラテスへの告発に対する反論から始まります。「不敬神」と「青年を腐敗させた」という告発に対して、ソクラテスの敬虔な信仰と、青年たちへの教育における節制と利他主義を強調した弁明が詳細に記されています。続く章では、ソクラテスの日常、彼の信仰、節制された生活、そして友人や弟子との対話が描かれています。

第2巻は、家族、友情、労働といったテーマが中心です。ソクラテスの家族関係、特に彼の妻クサンティッペや息子たちとのエピソードが語られます。友人との交際、友愛の重要性、そして貧困や困難に直面した際の対応などが、具体的な対話を通して示されています。 注目すべきは、プロディコスの寓話「岐路に立つヘラクレス」が収録されている点です。

第3巻では、軍事、政治、道徳、工芸、そして日常生活に関するソクラテスの考え方が示されます。将軍や政治家としての心得、家政術、芸術、身体鍛錬など、多様な分野にわたる助言や議論が展開されています。興味深いのは、娼婦テオドテとの対話があり、ソクラテスが交際における誠実さと策略を巧みに説いている点です。

第4巻は、教育、政治、そして正義に関する議論が中心です。ソクラテス独自の教育方法、哲学の重要性、そして正義の概念について、エウテュデモスやヒッピアスといった人物との対話が展開されています。幾何学、天文学、算術などの学問への見解、そして法廷での態度や死への備えについても触れられています。ソクラテスの弁論術、特に問答法（ディアレクティケー）の実際が示され、ソクラテスの思想体系の一端を垣間見ることができます。

クセノポンの視点

クセノポンは、プラトンとは異なり、ソクラテスを「最初の哲学者」として位置づけ、独自の哲学体系を構築しようとはしていません。彼は、ソクラテスが教育者としてアテナイ社会に与えた影響に焦点を当て、彼の言動を通して、ソクラテスの実践的な知恵と道徳性を強調しています。そのため、本書には、プラトンの著作には見られないような、ソクラテスの日常や社会生活に関する詳細な記述が多く含まれています。

歴史的価値

『ソクラテスの思い出』は、ソクラテスの思想を理解するための重要な一次史料であると同時に、当時のアテナイ社会の政治的、社会的な状況を知る上で貴重な資料でもあります。ソクラテスに対する告発の内容や、その弁明を通して、ソクラテスを取り巻く環境や、彼に対する世間の評価を垣間見ることができます。ソクラテスの生涯と思想を多角的に理解しようとする現代の研究者にとっても、本書は欠かせないテキストとなっています。

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